首相の英語力【小松達也アーカイブス 第6章】

同時通訳のパイオニアで、サイマル・インターナショナル創業者・小松達也さんのエッセイを集めた「アーカイブス」シリーズ。今回は、日本の首相の英語力をテーマにお届けします。

首相の条件は「英語を完全にマスターした」人?

先日、『聞き書 野中広務回顧録』という本を読みました。自民党の幹事長や官房長官を務め90年代の日本の政治をリードした野中広務氏の回顧録です。日本の政治の裏表が生き生きと語られていてなかなか面白かったのですが、その中で野中氏が
 
一国の宰相というのは、最低でも英語を完全にマスターした人間でなければやるべきではない」 

と言っていることに興味をひかれました。

野中氏は2001年、自民党総裁選で有力候補の一人と見られていましたが、「僕は200%出ない」と言って出馬を固辞しました(ちなみに、この時の総裁選で選ばれたのは小泉純一郎氏です)。上記の英語力に関する発言は、その時の心境を聞かれた問いに対する答えです。

続けて彼は、「そのことは竹下さん(竹下登元首相)から教わった」と言って、

会議の時には同時通訳がついている。しかし懇談の場になったら、本当に心を通わせることができるのは英語を基本とする会話だ


という竹下氏の言葉を引用しています。

海外のリーダーと信頼関係を築くには

私はサミットを含めて何度か竹下氏の通訳をしました。彼は人間関係を重視する、ある意味で非常に政治家らしい政治家だったので、このような感想を持ったのではないかと思います。首相が相手国のリーダーとの信頼関係を作るという意味で、表向きの会議の席以上に、その後のインフォーマルな懇談は大変重要な場と言えるでしょう。大抵、食事やパーティーでも通訳者は付いていますが、やはり直接同じ言葉で話しあうことに勝るものはありません。

しかし、そのような機会に英語で「心を通わせる」会話をするためには、非常に高い英語力を必要とします。野中氏が言う「英語を完全にマスターした人間」というのは決して誇張ではありません。

政治家という極めて多忙な職にある人たちにとって、そのような高い英語力を身につけることは大変な難事といっていいでしょう。ビジネスの世界はグローバル化が進んでおり、経営者にとっては海外駐在や出張など仕事の場を通して実践的な英語力を身につけることは必須であり、十分可能です。しかし、”Politics is all local.” といわれるように、政治の世界は依然として国内中心なのです。 

リーダーに国際的な資質はどこまで必要か

政局が混乱すると次期リーダー候補について取りざたされますが、その中に野中氏の「英語を完全にマスターした人間」という首相の資格を持った人はいるのでしょうか。また、候補の条件として、そのような国際的な資質がどのくらい必要だと考えられているのでしょうか。

海外のリーダーと直接英語で「心を通わせられる」コミュニケーション能力を持った政治家の登場には、まだまだ時間がかかるかもしれません。それはまた、日本の英語教育、あるいは日本人の英語の勉強の仕方という幅広い問題とも関連してくることです。

私たち通訳者は、自分たちの役割の重みを再認識し、ブースの中で良い通訳をするだけでなく、リーダーたちの耳となり口となって、「心を通わせる」コミュニケーションのサポートを心がけたいものです。

※この記事は2012年9月、サイマル・インターナショナルのWeb社内報に掲載されたものを一部編集し、再掲載しています。

 

小松達也さん
小松達也(こまつたつや)

東京外国語大学卒。1960年より日本生産性本部駐米通訳員を経て、1965年まで米国国務省言語課勤務。帰国後、サイマル・インターナショナルの設立に携わり、以後、社長、顧問を務める。日本の同時通訳者の草分けとして、首脳会議(サミット)、APECなど数多くの国際会議で活躍。サイマル・アカデミーを設立し、後進の育成にも注力した。サイマル関係者の間ではTKの愛称で親しまれている。

 

 

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