出合わなければ、通訳者を諦めていたかもしれない【通訳者・翻訳者の本棚から】

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サイマルで活躍中のプロが、通訳者翻訳者人生にかかわる一冊を紹介する「通訳者翻訳者の本棚から」。「大きな案件の前に気合を入れたいときに読む本」「落ち込んだ時に読みたくなる本」「いつも仕事で使っている本」「スキルアップや知識向上のために活用している本」など、さまざまなテーマの中から選ばれた今回の一冊は……?

私の一冊:Basic Concepts and Models for Interpreter and Translator Training

通訳者の野間口蓮海と申します。私が紹介したい一冊は、Daniel Gile著のBasic Concepts and Models for Interpreter and Translator Training (John Benjamins Publishing Company) です。

これは通訳・翻訳研究の書籍で、「通訳・翻訳訓練の理論」「通訳・翻訳における忠実性」「通訳の努力モデル」「背景知識の学び方」「現場での対応の仕方」など多岐にわたる内容をカバーしています。この本に出合ったのは私が社内翻訳・通訳者として勤務していたときで、当時直面していた困難を乗り越える大きな手助けになってくれました。

私はもともと通訳者をめざしていたわけではありません。大学では英語を専攻していたため、漠然と「英語を使う仕事がしたい」とは考えていました。しかし私は海外経験がなく、英語のスピーキングには特に苦手意識とコンプレックスを抱えていました。通訳者をめざすどころか、「英語を使う仕事といっても通訳者は無理だろう。英語を話すのは苦手だし、外向的でもないから」とさえ思っていました。

しかし社内翻訳者として就職した後、会社から「翻訳だけでなく通訳もやってほしい」と依頼を受け、通訳業務にも携わるようになりました。海外クライアントとの定例電話会議があり、通訳者が必要だったのです。

そのような経緯で始めることになった通訳業務は失敗続きで、満足のいくパフォーマンスを出すことはできませんでした。今思い返せば、電話会議の音質は悪く、社内事情や専門用語を把握しておく必要があり、かつ技術者の方が専門的な議論をする場だったため、当時の私の実力から考えると非常に難易度が高い仕事でした。そうした中で、私は通訳業務に強いプレッシャーを感じるようになり、音声は聞こえているのに頭の中で意味を成さない、という状態に陥っていました。

業務のために通訳学校に通い始め、自分でも通訳訓練と英語能力の向上に努めていましたが、仕事ではなかなか結果を出せずに苦しんでいました。そんな時に出合ったのがBasic Concepts and Models for Interpreter and Translator Trainingです。この本の中で私にとって大きな意味があったのは、通訳の「努力モデル(Effort Models)」「綱渡り仮説(Tightrope Hypothesis)」でした。それぞれ、下記の考えに基づく通訳モデル・仮説です。

努力モデル:
  • 通訳は有限なmental energyを消費し、その閾値を超えるとパフォーマンスが悪化する。
  • 通訳は聴き取り・分析、記憶、発話、調整というeffortからなり、通訳時には全体のリソースおよびそれぞれのeffortに対するリソースが十分に必要である。

綱渡り仮説:

  • 通訳者は綱渡りのように「飽和状態」に近いぎりぎりの状態で通訳を行っている。

これらに基づいて自分の通訳を振り返ると、私は通訳時に「飽和状態」に陥って処理能力がパンクしてしまっているのではないか、と考えました。そしてその理由として、そもそもの実力不足に加えて、「失敗したくない」というプレッシャーや、「英語・通訳ができない」という自己否定が処理能力に大きな負荷をかけており、本来通訳自体に割くべきリソースを奪ってしまっているのではないか、と思い至りました。

それ以来、通訳をする際には自分に対して過度なプレッシャーと負荷をかけないよう、「通訳そのもの」に集中するように心がけました。その一方で、自分が飽和状態に陥っていないかも常に意識するようにしました。そうすると少しずつ通訳のパフォーマンスが改善されるようになり、次第に自信をもって通訳業務に対応できるようになっていきました。

この本に出合っていなければ、「結局、私は通訳者に向いていなかったのだ」と諦めてしまっていたかもしれません。そういった意味では、私が今もこうして通訳者として仕事をしているのはこの本のおかげです。また、この書籍で書かれている「背景知識の学び方」「通訳現場での問題への対処の仕方」については、今、仕事をするうえでも大いに役立っています 。

 


そのほかのおすすめ書籍


●『英語の発想』
(安西徹雄著/筑摩書房)


英語と日本語がそれぞれどういった発想に基づく言語なのか、それぞれの発想に基づいてどのように翻訳を行うべきかが解説されています。タイトルは『英語の発想』ですが、日本語の背後にある発想や日本語そのものについても理解を深めることができる一冊です。




●『技術系英文ライティング教本―基本・英文法・応用―』
(中山裕木子著/日本能率協会マネジメントセンター)


技術系英文ライティングについて「誰にでも伝わる分かりやすい英語」を書くための技術や知識がまとめられています。技術翻訳をしていたときによく参照していた書籍なのですが、「分かりやすい英語を書く」ための知識や考え方は通訳をする際にも有用です。



 

 

野間口蓮海さん
野間口蓮海(のまぐちはすみ)

東京外国語大学外国語学部英語専攻卒。大学卒業後、半導体関連企業にて技術翻訳と通訳に携わる。サイマル・アカデミーインターネット講座受講を経て、2015年にサイマル・アカデミーに入学。卒業後、コンサルティングファームに社内通訳として勤務。現在はサイマル・インターナショナルの専属通訳者として会議通訳等を数多く担当する。



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