忠実にして美しい【小松達也アーカイブス 第3章】

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連載「アーカイブ・シリーズ」では、日本の同時通訳者の草分けでサイマル・インターナショナル創設者のおひとりでもある小松達也さんのエッセイを特集します。50年間にわたる現役通訳者時代のエピソード、プロ養成者の視点から見た通訳者についてなど、第一線を走り続けた小松さんならではの思いやことばをお届けします。

正確さとわかりやすさ

サイマル・アカデミーの会議通訳コースでは、日本語から英語への逐次通訳と同時通訳などの訓練を行います。受講生はこのコースの前のクラスで逐次通訳は十分やっているはずですが、同時通訳の練習に入る前に、より基本的な逐次通訳の力を確認しておく必要があるのです。実際やってみると、多くの人は通訳の基礎である逐次通訳の力が不十分なことがわかります。これでは、本来は同時通訳に進む用意ができているとは言えません。参加者にはこのことを認識してもらう必要があります。そのままの状態では、同時通訳の訓練はどうしても効率が悪くなってしまいます。受講生の自覚を促すとともに、各人の長所と欠点を率直に指摘して少しでも進歩を促すようにしていました。

「理解したことを他の言語でわかりやすく表現する」という意味で、同時通訳は基本的に逐次通訳と同じです。ただ「同時に」という厳しい時間的制約のために、作業はより複雑で難しいものになります。「他の言語でわかりやすく表現する」と書きましたが、この「わかりやすく」がポイントです。

通訳では、デリバリー(訳出)がどうしても不自然でわかりにくくなりがちです。同時通訳の場合は特にそうです。お客様(聞く人)の中にも「同時通訳だから、ある程度聞きにくくてもやむを得ない」という人もいます。しかし、プロの通訳者はそれに甘えてはいけません。プロの仕事では、訳文は “natural and clear” というのが原則です。“natural” というのは対象言語(訳された言語)として文法的に正しく淀みがないこと、“clear” というのははっきりしていてわかりやすいことです。ところが、通訳するときは内容的に正確であることに気を使いますので、どうしてもデリバリーの方はおろそかになります。その結果、お客様の耳に届く訳文がしばしば不自然で、聞きとりにくくなってしまいます。「内容として正確」であり、かつ「訳文が自然でわかりやすい」という二つの要素を満たすことはなかなか難しいのです。 

忠実さと自然さの両立

ロシア語の通訳者で、作家としても評価が高かった米原万里さんの最初の著作は『不実な美女か貞淑な醜女か』(徳間書店、1994年)というタイトルでした。これは「正確にしようとすると醜い文章になるし、美しく書こうとすると不正確になる」という翻訳についてよく言われる引用句を女性一般に置き換えたものです。日本語・ロシア語間の名通訳者だった米原さんは、自らの長い経験を通じてこの二つを両立させることの難しさを身を持って感じていたのだと思います。通訳だけでなく、優れた文章力を持っていた米原さんは、日本語とロシア語の背後にある、二つの異質な文化を調和させる仕事がもたらす喜びと悲しみを、鋭いユーモアをもって描きました。 

しかし、通訳者としては、この二つの要素を両立させなければなりません。忠実であり、かつ美しくなければいけないのです。この二つは一見矛盾するようですが、必ずしもそうではありません。むしろ理解が正確であれば、それをわかりやすく表現することはより容易になるはずです。理解が不十分だとどうしても言葉を追おうとしますから、表現が不自然になります。そこで私は、同時通訳のクラスでは「正確に理解しよう」ということより「自然で明瞭な表現をする」ことの方に重点を置くことにしました。そうすると、受講生はより正確に理解しようと努力するようになります。正しく理解できなければ、わかりやすくは話せないからです。たとえば、英語から日本語に同時通訳しているとき、訳文だけを聞いて歯切れのいい自然な日本語であったら、原文を聞かなくてもおそらく内容的にも正確な通訳だといっていいでしょう。忠実さと美しさは両立するのです。 

「英語力」を高める努力

私たちが母国語である日本語で話すときも、話したいことがはっきりしていればいるほど、わかりやすく話すことができます。頭の中にあるアイディアと、話すこととは密接につながっています。話が曖昧な時は、考え自体がはっきりしていないのです。通訳でもこれと同じで、話し手の言ったことの内容がしっかり捉えられていないと、わかりやすく表現することはできません。ですから、理解が正確であれば、自ずから表現は自然でわかりやすいものになります

ただ、日本語を英語に訳すときは英語力という追加的な課題があります。自然に話そうと思っても、英語の表現力がなければうまくは言えないからです。特に同時通訳では、自然で明瞭な英語で表現するのは至難の業といっていいでしょう。私自身の英語力もまだまだだと思っています。

英語力を高める努力にきりはありません。

※この記事は2015年5月、サイマル・インターナショナルのWeb社内報に掲載されたものを一部編集し、再掲載しています。

小松達也さん
小松達也(こまつたつや)

東京外国語大学卒。1960年より日本生産性本部駐米通訳員を経て、1965年まで米国国務省言語課勤務。帰国後、サイマル・インターナショナルの設立に携わり、以後、社長、顧問を務める。日本の同時通訳者の草分けとして、首脳会議(サミット)、APECなど数多くの国際会議で活躍。サイマル・アカデミーを設立し、後進の育成にも注力した。サイマル関係者の間ではTKの愛称で親しまれている。


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