現役の会議通訳者・池内尚郎さんが、同時通訳の実践的技法・術(わざ)を紹介していく連載コラムです。第8回は、これまで紹介された術(わざ)を20項目にまとめた中から、最初の10項目をお届けします。
二十戒(前編)
この連載で、私は同通術の指南役を務めさせてほしい、と大言壮語した。その役目を果たせたどうかおぼつかないが、連載も終盤にさしかかったいま、これまで紹介した術(わざ)を格言風にまとめてみようと思う。呪文(mantra)のように短い言葉で覚え、唱えることができれば、武道の技のように体に覚え込ませやすいのではないか、と考えた。全部で20項目ある。「戒」とは、いましめなので、項目の多くは否定命令文の形になっている。読者諸氏、以下のこと、ゆめゆめおろそかにするなかれ。
1.単語を訳すな、意味を訳せ
word-for-wordで訳出を続けることは、部分的には可能でも、ずっと続けることはできない。必ず破綻する。聞こえてくる単語に身を乗り出すのではなく、単語の連なりが生み出す意味をおおらかに捉えるようにする。そうすれば、通訳者は「聞きながら訳す」というジャグリングを続けることができる。「通訳は写真というよりも絵だ」(Interpretation is more like painting than photography)(注1)——欧州通訳界の第一人者であるダニッツア・セレスコビッチの卓見だ。
2.自分の言葉で語れ
通訳者は「イタコ」(注2)と言ったのは、ロシア語通訳者の米原万里。イタコとは青森・恐山にいる巫女のことで、死者を呼び出し、その言葉を口移しに語ることができるとされる。いわゆる憑依だ。少々言葉が古いので、今風に言い換えれば「アバター」。自分が話者になった気持ちで自分の言葉を用いて通訳すれば、訳はスムーズになり、リズムが生まれ、適度のスピードが加わり、表現は簡潔になる。
3.「意味の単位」を積み上げろ
「意味の単位」とは、主語+述語(なにが、どうした)であると、これまで説明してきた。そのような最小単位は一文の場合もあるし、長文の場合は、その一部を意味の単位として切り出すことができる。その単位ごとに訳し、訳しながら耳に入ってくる情報を処理して、訳出したものの上に積み上げていく。
同時通訳は「積み木遊び」のような作業だ。「意味の単位」ごとと言ったが、実際はもっとパターンがある。「意味の単位」ではないが、文の冒頭にくる副詞句などは訳し捨てられる。さらに、次の展開が予測できる、または確実に予測できなくとも話をつないでいくことのできる場合は、「意味の単位」まで待たずに訳出を始めることも可能だ。
4.原文を換骨奪胎せよ
この「戒」については、前回くわしく述べた。要は原文の「表面の形にこだわらない」(注3)ことだ。第1戒にあるように、単語にこだわると、原文の換骨奪胎がなくなる。意味を訳すためにも、原文の構文や品詞の束縛から自らを解放することが、同時通訳の要諦である。
5.瞬発力を出し切れ
同時通訳は瞬間芸である。話者の言葉を聞いて瞬間的に内容を理解し、話の方向性を瞬時に推理しなければならない。それだけではない。同時に、理解した意味を瞬間的に簡潔な表現を用いて訳出しなければならない。つまり、インプットとアウトプットの両面で瞬発力が求められる。この瞬発力のことを、著名な通訳者であるロンブ・カトーは「電光石火のごとき思考の速さ」(注4)と表現している。
ある先輩通訳者は、同時通訳者に必要な素質を聞かれて、「暗闇を疾走する車の運転手のような」瞬間的予測力と形容した。ただし、瞬発力と無条件反射とを混同してはならない。同時通訳に必要なのは「計算された瞬発力」だ。後者は、第9戒でたしなめている悪弊にほかならない。
6.言葉を節約せよ
"Economize words."——この言葉を、私はその訳語とともに、第一世代の名通訳者、村松増美から教わった。日英でも英日でも、訳出された言葉はどうしても長くなりがちだ。そこで、無駄な言葉を極力排除する。「あ〜、う〜」などの不要語はもちろん、「〜であります」「〜と思います」など、冗漫に聞こえる言葉も省く。そうすれば、キュッと締まったパンチのある通訳ができる。日本には、この「戒」の正しさを証明する格言がある。「簡にして要を得る」——シンプルだが的を得た訳出こそ、通訳者が精進すべき目標である。
7.すべてを訳そうとするな
これは「八分目の妙技」で詳述した。それにあえて付け加えると、通訳者の性分として、ギリギリで理解しながら同時通訳していると、耳に入り理解できたものはとりあえず訳しておこうという安全策に走りがちだということがある。ところが、そのような情報は往々にして訳さなくても大差ないものが少なくない。この「戒」は、そういう性癖を正してくれる効果がある。
これに似た「戒」に「落とす勇気」。これは、もう一人の先輩通訳者の言葉。この「戒」がとくに威力を発揮するのが、話者がある事実を肯定したのか否定したのか、よく分からない場合だ。そのとき通訳者はエイヤーと賭けに出てはならない。そのときこそ「落とす勇気」を発揮しなければならない。「落とす勇気」とは「嘘を言うな」でもある。
8.ダラダラと文章を続けるな
米原真理は、同時通訳における避けるべき悪弊として、「お役所の庶務課係長」(注5)のような訳を挙げる。よどみなく言葉は続くが、一向に内容が頭に入らない話し方のことだ。通訳している最中に次々と情報が入ってくるので、それを継ぎ足し続けていると、この「お役所の庶務課係長」のような訳になる。通訳するときは、文章は短めにした方がいい。文章がぶつ切りになると、聞きづらいのではないかと通訳者は心配するかもしれないが、情報のひとかたまりが小さい方が、結局は聞き手に理解しやすいのだ。
9.飛び出すな
同時通訳は時間との勝負なので、通訳者は待つ時間を可能な限り短くしたい。結果、一言二言聞いたところで、訳出を始めてしまう。これが大怪我のもと。交通標語のようだが、「飛び出すな、その一言が命取り」と心得よ。もう一句、川柳風に。「一呼吸、置いて始める勇気かな」英語のことわざも。"Act in haste, repent at leisure."——「後悔先に立たず」 これも覚えておこう。
10.言いなおすな
話者に大きく遅れず、できるだけ寄り添いながら通訳を続ける方法の一つが、通訳を始めたら、第一に言いなおさないこと、第二に同じ言葉を繰り返さないこと、第三に言いよどまないことだ。そのためには、訳出を開始したら、後ろを振り返らず前だけを見続けなければならない。
大昔、パックマンというゲームがあった。迷路をクリアするゲームでモンスターにやられないようにスティックを操作しながらアイテムを取っていくゲームだ。迫り来るモンスターにやられないようにするためには、モンスターの進路を予測して、瞬間的に迷路の進路を変えていかなければならない。同時通訳にも、このパックマンのような動きが必要だ。「一歩たりとも後退するな(Not One Step Backwards)」(注6) これは軍隊用語だが、同時通訳者にもこれくらいの覚悟がいる。
注1 "Interpreting for International Conferences"(Danica Seleskovitch, Pen and Booth)
注2 『言葉を育てる』(米原万里、ちくま文庫)
注3 『英文翻訳術』(安西徹雄、ちくま学芸文庫)
注4 『わたしの外国語学習法』(ロンブ・カトー、ちくま学芸文庫)
注5 『不実な美女か貞淑な醜女か』(米原万里、新潮文庫)
注6 "Stalingrad"(Antony Beevor, Penguin Books)
サイマル・インターナショナル専属通訳者。上智大学外国語学部ロシア語学科で学ぶ。国際交流や国際政策に関わる仕事の後、サイマル・アカデミーで学び通訳者に。政治・経済・文化・科学技術など幅広い分野で活躍。同校通訳者養成コース会議通訳クラスで後進の指導にあたる。
【続きはこちらから】気になる「二十戒(後編)」
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