スキルアップのために必要な知識や情報、日々の仕事での失敗や成功のエピソードなどを、英⇔日翻訳者がリレー形式で執筆します。今回のテーマは、正確に訳すことに加えて大切な、日本語の訳文の「リズム」についてです。
仕事の関係で、翻訳初心者の方々の訳文を見る機会があります。そうした訳文にありがちな傾向のひとつは、原文のワンセンテンス、ワンセンテンスを順番に一生懸命英文和訳し、それをつなげて終わりというもの。一文訳しては息をつき、また次の一文に挑むということのくり返しで、できあがった「文章」全体としての流れにあまり目配りがされていません(とはいえ、何も気にする必要はありません。誰にも――もちろん私にも――初心者の時期はあるのです)。
二葉亭四迷は、原文の意味はもちろん調子までも写しとろうとしました。ピリオド(句点)やカンマ(読点)の数までそろえようとしたといいますから、並大抵の努力ではありません。そこまでやるべきかどうかの議論はともかく、それほど文章のリズムや調子を重んじたということでしょう。
文章には絵画のような文章と音楽のような文章があるのではないか、と言ったのはたしか村上春樹。前者は細部にまで注意が行き届いた的確な描写が身上で、後者はむしろ次へ次へと読者を引っ張る文章のリズムが命である、と。
翻訳の場合はどちらかといえば絵画的な側面が重視されそうな気がします(事実を徹底的に調査せよ、とか)。それはそれでとても大切な条件にちがいありません。その要素が欠けたらそもそも翻訳の体をなさないでしょう。でも、さらにそこへ音楽的な側面が加われば鬼に金棒です。読み手はきっとスムーズに(翻訳だということさえ意識せずに)文章を読み進むことができます。
天才はあまり深く考えずにそうしたリズムを自然に体現できるのでしょうが、凡才は引き続き四苦八苦することになります。意味や中身は変わらないのに、語尾をどうするかひとつに5分も10分も頭を悩ませたりしながら。あるいは、原文に接続詞はないけど日本語では入れたほうが読みやすいかな、いや、でも原文の無骨なリズムも捨て置けない......などと行ったり来たりしながら。仕事のしかたはまったくリズミカルではないのでした。
(注)この記事は、2016年7月に「サイマル翻訳ブログ」に掲載されたものを編集したものです。
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