国際外交の現場に立つ通訳者にとって、基本的なプロトコール(国際的な儀礼上のルール)を理解した上で仕事に臨むことが重要です。このコラムでは、数多くの国賓・公賓の訪日接遇を担当してきた元外務省儀典企画官の寺西千代子さんが、通訳者が知っておきたいプロトコールの基本と注意点について解説します。
敬称
基本的な考え方
- 基本的な考え方は下記の通りです。まずはしっかりと押さえておきましょう。
- 「どうお呼びすれば失礼にあたらないでしょうか?」と相手に直接聞きます。相手に直接聞けない場合は、側近の秘書、侍従などに聞きます。
- 周囲の人がどう呼んでいるか(いわゆる俗称)に合わせます。
- 敬称については、本が教えていることと一致しない様々な事例があります。例えば、「Mrs.の後には夫の名前。Mrs.の後に本人の名前を付すのは、未亡人の場合」と教わりましたが、私の親しいイタリア人夫人は、周囲の人から一様に「Segnora+本人のファーストネーム」で呼ばれています。
- 同様に、貴族制度が既に廃止された国でも、周囲の人が未だに貴族末裔を"Principe" "Principessa" のような敬称で呼ぶ習慣が残っている場合も少なくありません。例えば、イタリアでボルゲーゼ家末裔の女性を、周囲は”Principessa”と呼んでいました。
- 公職、官職に付いている人は、役職名で呼ぶのが最も簡単で、失礼にあたりません。(例:大統領→President、首相→Prime Minister、閣僚→Minister、大使→Ambassadorなど)また、俗習ですが、元(ex)高官(元大統領、元首相、元大臣、元大使など)に対しては、「大統領」「首相」「大臣」などと昔の敬称で呼ぶことも一般的に行われています。
- 尊称は濫用すると慇懃無礼に聞こえる場合があります。例えば、大使に対する尊称"Your Excellency"を呼びかけのたびに毎回繰り返すと耳障りです。"Ambassador" "Sir"など別の敬称表現を適宜混ぜて使うことも一案でしょう。
時代と共に変わる敬称
国内の場合
◆皇族の敬称
新たな天皇陛下が即位されたことにより、日本の皇族の敬称はどのようになったのでしょうか? 宮内庁ホームページを確認しておくとよいでしょう。上皇、皇嗣という新たな称号が加わった点にも注意してください。
◆ローマ教皇の呼称と敬称
先日、ローマ教皇が訪日されました。先ず、ローマ「法王」ではなくローマ「教皇」と呼び名が変わっていることに注意してください。外務省ホームページに報道官の会見記録が掲載されています。
聖職者の敬称は、宗派により異なり、極めて複雑です。例えば、ローマ教皇の"His Holiness"(外務省報道官は「台下」という訳語をあてています)です。カトリックの聖職者は「神父」でプロテスタントの聖職者は「牧師」です。これを取り違えると教養に欠けた通訳者と思われます。
海外の場合
◆英王室
日本人がよろずプロトコールについて参考にするのが王室を頂く英国です。その英国王室で敬称にも関わるビッグニュースが相次いでいます。一つは、ヘンリー王子の王族公務離脱とそれに伴う敬称"His Royal Highness"(殿下)の返上です。バッキンガム宮殿の発表は以下の一文のみ。
"The Sussexes will not use their HRH titles as they are no longer working members of the Royal Family."
もう一つは、アンドリュー王子の性的スキャンダルに伴う王族公務辞退です。こちらについては、HRHがどうなったのか報道がありません。
敬称についてのバイブル的存在である英国Debrett’s社も、最新情報をキャッチアップできていないようです。
ところで「HRHとは何か?」については日本に限らず世界でほとんど知られていないようです。通訳者は、王族の称号について基本的なこと、また、特にヨーロッパ以外でも王族が存在している国が多いので、国別の用法を学ぶことが必要です。(参考:英王室ホームページ Court Circular)
◆女性の敬称
一般人の敬称も時代とともに変化しています。特に注意が必要なのは女性の敬称です。
<Ms. の適否>
Ms.が登場したのは、フェミニズム運動が盛んになった1970年代のアメリカで、当初は女性の中にもMs.を使うことに抵抗感のある人が多く、口語で使われることはまれでした。現在、Ms.を使うか使わないかは個々人の意思に任されています。保守的な女性、地域では使わない主義の人も多いようです。
<Mlle はもう使わない?>
ドイツでは、未婚女性のFrauleinは使われなくなり女性はFrauに一本化されたと聞かされて久しくなりますが、フランスでも、未婚女性のMademoiselleは既婚女性のMadameに一本化されているようです。
◆敬称抜き/敬称の中性化
カナダや米国在勤中、"Ms." "Miss" "Mrs. "などの敬称がない宛名で書簡を受け取った経験も少なからずあります。違和感はありましたが、次世代のトレンドなのかも知れません。呼び捨ての手紙を受け取った場合、当惑されないように一言付け加えておきます。
服装/ドレス・コード(dress code)
- ドレスコードについては下記の点を押さえましょう。時代の変遷により、服装も変化(簡略と多様化)が激しく、一言でいえば「何でもあり」の時代になりました。しかし、基本原則はTPO(Time・ Place・ Occasion)に合わせることです。
- 服装について迷うときは、主催者側に聞いて差し支えありません。
- 和製英語のドレス・コードは外国人に通じないことがあるので、注意が必要です。(例:日本在住でない外国人にはクール・ビズとは何のことか分からない)
- 招待状等の"dress code" ("attire"と表示される場合も多い)は、通常、男性の服装のみが書かれています(女性は「男性の服装に相当するものを着用する」が暗黙の了解)。
- 男性の場合、夜の第一正装(white tie)や準正装(black tie / tuxedo)着用の機会が少なくなり、昼夜とも平服(lounge suit / informal / dark suit)指定の行事が多くなりました。"dark suit"は黒っぽいスーツのことで、最近はかしこまった行事でも広く着用されています。
- 女性については、昔は"afternoon dress" "cocktail dress" " robe montante" "robe decollete"など細かく分類されていましたが(現在は服装のバリエーションが多様化しているので)、"day dress"と "dinner dress"の分類で十分用が足りているようです。
国柄の違い、為政者の嗜好
お国柄で「コンサバティブ度合い」が異なります。特に女性の服装については、肌の露出度、スカートの長さ、パンタロンの是非、色などに注意してください。特にイスラム圏の方々との接触には、現地の事情に精通している人の意見を聞いて適切な服装をすることが必要です。イスラム圏の国・地域を訪問する際は、必ず頭の被り物をつけること、肌の隠れる服装をすることなどが一般に注意されてきました。
しかし近年欧州の女性首相、外相などが中東地域を訪問された際、ベールを着用せず、また、相手国首脳と握手をしている光景なども目につきます。常に「今」の習慣にアンテナを張り、国ごとの違いを調べることが必要です。
私の最後の任国であったヴァチカンは、ドレス・コードが比較的厳しい場所でした。教皇と至近距離で接する外交団には燕尾服着用、女性はベール、肌の見えない服装、アクセサリーとして最適なのはパール……という具合です。しかし、2019 年11月に訪日されたフランチェスコ教皇に接する一般女性の殆どは、ベールを被っていないことに気が付きました。堅苦しいことを好まないフランチェスコ教皇の嗜好が反映されたものと言えます。
通訳者の服装
通訳者は出席者と同じドレス・コードに従うのが通例でした。ただし、昨年秋、即位礼の関連行事では、出席者が燕尾服姿であっても通訳者はダークスーツの場面が目につきました。これも時代の変化だと思います。
<黒子の自覚をもって人目を惹く服装を避ける>
かつて米国のビジネス・マナー教本の元祖とも崇められたレティツィア・ボールドリッジ女史は「女性が講演する場合、過度なアクセサリー、音がするアクセサリーなどは、視聴者の注意をそらすので避けた方が良い」とアドバイスしていました。通訳の服装にも通じると思います。
席次
プロトコールは席次に始まって席次に終わると言ってもよいほど重要です。以下、通訳に必要な最低限の席次原則だけ取り上げましょう。
1. 国際条約などで決められている席次の規則を守ること(例:外交関係に関するウィーン条約では、大使の席次は着任順とされていることなど)。
2. 先例を重んじること。独自の席次慣行がある機関、例えば国連(英語国名のアルファベット順)、EUの各国大使(主催国の言語による国名アルファベット順など)、加盟順などの席次基準を知ること。
3. 席次についてクレームがついた場合に、席次を決めた基準を説明できること。
4. プロトコールでは、上位の席(place of honor)は「右」とされています。人の並び方(ホストの右肩が左肩の人よりも上位)、国旗の掲揚(主催国の国旗の右肩に相手国の国旗を掲げる)など、この原則が守られています。
車の席次は伝統的には車の進行方向に向かって、後席右が上位、左が次席とされてきました。これは車のハンドルが左側の国の場合を想定した慣習です。日本のように車のハンドルが右側の場合は、後席右側席に乗車すると乗り降りが不便なので、上位者の意向によっては乗り降りしやすい側を上席とすることも差し支えないと考えます。長らく後席右を上席と教えてきたフランスの儀礼書も最近は「現地の事情により、右でも左でも差し支えない」との記述に改めました。
文化・習慣の違い
プロトコールの心得として最も重要なことは、多様性を理解すること、違う価値観に許容力を持つことだと考えています。
多くの人にとって憧れのイタリアですら「仕事でこの国に再び来るのは御免だ」と言い放って帰国する同僚が沢山いました。異文化、異習慣の相手が仕事の通訳には、先ず学んで欲しい資質が「多様性・価値観の違い」への理解です。
いずこにあろうとも、習慣は時代と共に変化することが多いので、ローカルの住民や最近の事情を知る日本人に聞くことが必要です。
特に強調したいのが「最近の」という点です。「昔はこうだった」ではなく「今」がどうなのかを知らないと生きた通訳はできないのではないでしょうか。
(1)各国の元首名等一覧表 (2)座席例
日本マナー・プロトコール協会理事、元外務省儀典企画官。津田塾大学英文学科卒業後、外務省に入省。外務本省においては主に儀典を担当。ニューヨーク、英国、イタリア、国連代表部、フィンランド、米国、カナダ、バチカンなどの在外公館勤務を経て2009年外務省を定年退職。2016年伊勢志摩サミットにおいて、愛知県サミットアドバイザーに就任。「プロトコールとは何か」「国際儀礼の基礎知識」など著書多数。
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