時間がある時のドイツ語勉強法【ドイツ語ホンヤクの世界】

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英語以外の言語の翻訳事情や、仕事のエピソード、スキルアップ情報などを、翻訳者がリレー形式で紹介します。今回は、「ドイツ語ホンヤクの世界」です。長年ドイツ語翻訳に携わる井口富美子さんが実践するブラッシュアップの方法とは? ドイツ語翻訳の需要、今後も見据えた実践的アドバイスです。

 

このコラムの執筆をご依頼いただいたのは2020年1月。新型コロナウイルスなど異国の災厄だと思っていた頃でした。原稿をお渡しする時に世界が一変していようとは、夢にも思いませんでした。

今回のパンデミックで一時的に仕事が減った方も多いのではないでしょうか。そんなときはあわてないで時間を有効に使いましょう。普段なかなかできない勉強法に挑戦していただけたらと思い、自分の体験と共にご紹介します。

独和翻訳のこれから

私は会社員時代から数えるとドイツ語の翻訳を始めて今年で丸25年になります。これまでリーマンショックや東日本大震災を経験し、不況で仕事が激減してもなんとかしのいできました。ドイツ語の場合、日本と技術が競合する分野が多く、他の欧州言語に比べてお仕事は多いと思います。例えば自動車は今後もドイツの基幹産業ですし、電気自動車になって技術文書は減るにしても、マーケティングを含め販売、エンドユーザー向けはかえって増えるのではないでしょうか。また医療機器の需要は下がるとは思えません。ドイツやスイスの技術力は日本人に高く評価されており、堅実な分野でしょう。

不況に強いと言われる特許では、残念ながら大企業による英語出願が増えています。けれどもドイツでは技術力の高い中小企業も多いため、ドイツ語出願はまだまだなくならないと思われます。今回の不況で機械翻訳の波が押し寄せてくるかもしれませんが、少なくともわたしの周囲では、独英も含め機械翻訳でなんとかなるようなお仕事は見かけません。今後、短期的には仕事量が減るでしょうが、緩やかに回復するのではと思っています。

多読のすすめ

今まで何度かドイツ語実務翻訳を翻訳学校で教えました。その時受講生が一番苦手だったのが「課題文の要約」でした。そんなこと、何の役に立つのだろうと思われるかもしれません。けれども、書き手が一番言いたいことを一読して理解し、要点としてまとめるには、高度な読解力と理解力が必要なのです。要約もできないようでは著者の意図をわかりやすく読者に伝えることはできません。

日本語なのに何度読んでも何が言いたいのかさっぱりわからない翻訳記事を、ネットなどで目にしたことはありませんか。自分の翻訳がそういうメリハリのないわかりづらい文章にならないようにするには、原文の論理の流れを明確にするだけでなく、重要点を際立たせて訳すことが重要です。

2月から3月にかけて、COVID-19は未知の感染症でした。わたしは情報収集のため日本の媒体だけでなくドイツ語の新聞や雑誌を片端から読みました。フランクフルターアルゲマイネ、南ドイツ新聞、シュピーゲル、シュテルン、フォーカス、その他、さまざまな媒体でコロナ関連記事を文字どおり多読しました。

そういうことが1か月以上続いたでしょうか。ある日、比較的長いドイツ語の記事を読んでいた時のことです。ちょっと大げさに言うと、読みながら大事なことが浮き上がって見え、要約も5分とかかりませんでした。不明の専門用語がなかったとはいえ、読解・要約共にずいぶん力がついたと実感しました。人間はいくつになってもその気になれば能力を高めることができます。ぜひ新聞、雑誌の記事を読んで要点をつかむ練習をしてみてください。同じテーマで量をこなすと原文のロジックも見えてきます。

多聴のすすめ

翻訳にヒアリング能力は関係ないと思われがちですが、耳で理解する力も大事です。わたしはNHKのワールドニュースはもちろんのこと、タブレットにアプリを入れてZDFやARDでニュースだけでなくドラマも見ています。

なぜ聞くことが大事なのでしょうか。言うまでもなくイントネーション、リズムや強弱で言葉が理解しやすくなるからです。聞く練習を積み重ねると、文字を読んでも音声が聞こえてきます。そうなったらしめたものです。

今回のコロナ禍では、音声情報からも情報収集しました。メルケル首相の声明はもちろん、ロベルト・コッホ研究所の定例会見や州知事の記者会見をリアルタイムで見ましたし、NDRのポッドキャストでコロナ情報番組を毎日聞きました。そのうち、今聞いたのがドイツ語だったのか日本語だったのかわからなくなるほどになりました。

こういうせっぱ詰まったヒアリングでなくとも、自分の好きな作家の小説などをオーディオブックなどで聞くのもいいと思います。翻訳が出ているものを選び、日本語で読んでから聞くと聴き取りやすいでしょう。長続きさせるには楽しむのが一番です。

ディクテーションのすすめ

特にヒアリングが苦手な方に、ディクテーションはおすすめです。好きな映画のDVDなど、ドイツ語字幕の出るものを選んで楽しくやりましょう。同じ映画の同じシーンを繰り返し書き取るうちにどんどん聞き取れるようになり、進歩が目に見えるので励みになります。

ヒアリングが得意な方は、ノンフィクションのオーディオブックを選ぶといいでしょう。ディクテーションしているうちに、ドイツ語作文力も向上します。翻訳のスキルアップには、いわゆる四技能を底上げしていくことが大事だと思います。言語には文字情報からこぼれ落ちてしまう情報がたくさんあり、読解力だけでは不足です。また、こうやって全方位で勉強していると、辞書には書かれていない微妙なニュアンスを感じ取ることができるようになります。

音読のすすめ

音読すると、情報が目と耳から同時に入ることで原文の理解が助けられます。多聴のすすめのところで選んだ本を音読すると、オーディオブックの抑揚を模倣できます。仕事の翻訳の場合、原文を目で読んでも理解できない時は、その文の前後も含めて音読します。何度か読むと、文の構造だけでなく文脈が見えてきます。

実務翻訳の場合はそうやってところどころ読む方式ですが、フィクションを訳しているときは数行読んでから、あるいはワンパラグラフ音読してから訳すと、物語の世界に入り込みやすいように思います。

機械翻訳を調査に使う

ちょっと勉強法からは外れますが、わたしたち人間の翻訳者にとって、機械翻訳はあまり楽しくないテーマです。けれども今回コロナ関係の調査には非常に役に立ちました。イタリア語やスペイン語、スウェーデン語の記事をドイツ語に訳して概要を知ることができたからです。残念ながら和訳はやっても無駄でした。やはり欧州言語同士は訳文レベルが高いようです。文の種類によって得手不得手はあるようでしたが、おおよその意味を確認するには便利です。

現在一般に使用されている機械翻訳エンジンはすべて同じ原理で動いています。そしてこのエンジンは外からコントロールできません。つまり用語集もスタイルガイドも反映させられないのです。長文は苦手だし、文の終わりを見失うこともよくあります。一文単位で訳すので、前の文の内容は無視。代名詞がなにを指しているかなんてお構いなしです。特にドイツ語のように名詞に性がある言語は要注意でしょう。

機械なのにどうしてと思われるでしょうが、数字や曜日、固有名詞もミスします。こんなところをなぜ?というような部分でごそっと訳抜けします。なにせ一文単位でしか訳せませんから、用語統一という概念もありません。前後の文で同じ用語に違う訳語が当てられたりします。和訳の場合は敬体と常体がおもしろいように混在します。しかも使いこなせる語彙数に限界があるので、専門用語には弱いときています。これが人間だったら、とてもプロにはなれない。門前払いです。

今後機械翻訳に仕事を奪われる分野もあるでしょうが、今回の経験では機械翻訳の限界がはっきり見えた気がします。上記の欠点はすべて、ましにはなるが直らない。この欠点をなくすには別のエンジンの開発が必要かもしれず、5年、10年単位の時間がかかるだろうと言われています。

読書のすすめ

非常事態宣言が出ている間、SNSでは7日間一冊ずつ本を紹介するというリレー、#ブックカバーチャレンジが行われました。毎日タイムラインを流れていくたくさんの本を見ながら、優秀な翻訳者は子どもの頃から良質の本をたくさん読んでおられることに気がつきました。そもそも外国語の運用能力が母語のそれを超えることはありません。遠い道のりですが、文章力をつけるには、優れた文章を読むしかないのです。機械翻訳だって良質のコーパスを学習させると精度が上がります。わたしもこの機会に読書量を増やすつもりです。みなさまもぜひ、時間の余裕を無駄にせず、楽しく勉強してくださいね。

 

 

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井口 富美子(いぐちふみこ)

大学卒業後は専門図書館に勤務。ドイツ留学、翻訳会社勤務を経て2005年にフリーランスの翻訳者として独立。産業翻訳の他、文芸翻訳にもたずさわる。JTF理事。訳書『深淵の騎士たち』(早川書房)、『ウェブスター辞書あるいは英語をめぐる冒険』(共訳、左右社)ほか。


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