あるポルトガル語翻訳者の雑記・前編【ポルトガル語ホンヤクの世界】

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英語以外の言語の翻訳事情や、仕事のエピソード、スキルアップ情報などを、翻訳者がリレー形式で紹介します。今回は、ポルトガル語ホンヤクの世界。20年近く第一線で活躍されている長谷部慶太さんの仕事術を前編・後編にわたってお届けします。

ポルトガル語の翻訳・通訳を生業としている長谷部慶太といいます。この度はサイマル・インターナショナルの「通訳・翻訳ブック」への寄稿の機会をいただきました。読者の皆様にとって何か参考になればと思い、私の仕事のしかたについて少し紹介させていただければと思います。

どんな訳文も一つの読み物として読んでもらう

フリーランスの翻訳者通訳者になってはや18年が経ちました。私は日本人なのですが、ブラジルで生まれて幼少期を日本で過ごし、またブラジルに戻って現地の大学を卒業しています。その後、東京で10年ほど会社務めをしてから、いわゆる脱サラをしました。

いまの翻訳業務の形態は日本語からポルトガル語への訳出がメインです。仕事機会で見れば、とてもニッチな分類に入ると思いますが、通訳業務も兼ねて細々と生計を立てています。
また、小さな市場ですので、頂くお仕事のジャンルに関しても制限は設けておらず、政府機関や企業の文書、法律、技術規格、経営、投資、芸能スポーツ、またテレビ映像の字幕など幅広くこなしています。

翻訳の作業で私が第一に心がけているのは、私の訳文が原文の情報量を損ねることなく、「読み物」としても成立しているかということです。なので、いったん下訳をしたのちに、訳文を文章として練る工程が私の翻訳作業のメインパートだと考えております。最終的に、読み手に「これは翻訳文だ」と意識することなく読んでいただければ私の意図は叶ったことになります。

もともとブラジルで学生だった頃から絵が得意で文章を書くのも好きでした。大学は理系の地学(geoscience)を専攻したのですが、大学生の頃は現地の雑誌向けに漫画(いわゆるコミック)を描いていました。当時は80年代も終わりの頃、ブラジルの経済はハイパーインフレに喘いでいて、同級生たちは皆、お金がなくて何かしらアルバイトをしていましたが、私は幸か不幸か好きなことをしてお金を得る味をしめてしまいました(あのあたりから、我が儘な人生が始まった気がします)。

漫画というのは作品を一つ描き上げるのに時間を要するのですが、ストーリーだけなら大学の授業を聞いていても、移動中でも、すぐに思い浮かびますから、あの頃は面白がってたくさんの原作を書いて他のプロの漫画家にも提供していました。また、そのつながりでTVコマーシャルのストーリーボード(絵コンテ)と脚本も数本手がける機会を得ました(ブラジルは世界有数のメディア大国で、とくにコマーシャル業界は強いです)。

脚本の書き方は本などを読んで独学で覚えたのですが、実際に書くにあたって、とにかくキャストにもスタッフにもひとつひとつのシーンの設定をしっかりと理解してもらう文章でなくてはならず、そのような現場で自分のポルトガル語の文章力は磨かれたのだと思っています。なので、私の場合、言葉を訳す能力よりも文章を書く能力がまず土台にあると思っています。

良い読み物は音がいい

そこで、ポルトガル語の良い文章とは何かという話になってくるのですが、細かな技術はともかく、周知のとおり、ポルトガル語はラテン語から派生したロマンス言語のひとつです。フランス語やイタリア語、スペイン語と共通している点も多く、私自身が感じるこれらの言語のひとつの特徴として、とてもメロディアスとでもいいましょうか、訳文を読みあげたときにラテン特有の音が響くようなフレーズを心がけています。

この音との関係はどの言語にも共通のことかとは思いますが、ブラジル・ポルトガル語に関しては、前述のラテンヨーロッパ諸国の人々が多く国に移民し、さらにはアフリカや中近東の人々が流入し、現地でそれぞれ独自の表現のしかたと音が混ざり合った結果、誰の耳にもはっきりと聞こえる抑揚のある音が完成されたといわれています。移民国家ならではといえますね。

一方で、日本のように国民のほとんどが十分な文章を書ける国では理解しがたいかもしれませんが、ブラジルのような貧富の差のある国では、すべての人がきちんとした文章が書けるわけではありません。大卒の者ですら文法を間違えたりしますから、書ける文章のレベルがその人の社会的地位を表すといっても過言ではないでしょう。比較的複雑とされるポルトガル語の文法体系についても、いまはかなり民衆化されたとはいえ、もともとそれを使いこなせるのは支配階級でした。

なので、日本の政府機関や企業の書類や要人発言など様々な文書を訳すにあたっても、単にそこにある情報を訳すだけでなく、明瞭で簡潔な文章でありながら、それを読むだろう相手を意識して書くことを常に心がけています。ブラジル・ポルトガル語は簡単な会話であれば、誰でもすぐに話せるほど大雑把なのですが、こと文章になると、いきなりハードルが上がります。ポルトガル語の文章を日本語に翻訳する場合にも、こうした特徴を理解したうえで、例えば法律などの複雑な言い回しや装飾部分の多い文章などでは、いったん頭の中で簡単な文章に分解してから、訳文を再構成するようにしています。

正確な訳には当然、日本語の高い理解力も欠かせません。私は、もともとブラジルで暮らしていた頃から家庭では日本語で話し、日本の書籍もたくさん身近にあったおかげで、日本語でもよく読んでいました。大学を卒業し、日本で地質技師として仕事をし始めたときは業務の報告書をまとめる必要があったのですが、このときはすでにワープロ専用機が存在していたおかげでとても助かりました。当時はなんとか一人前の文章を書こうと、先輩方が書かれた報告書を片っ端から読みあさりました。いわゆるジャーゴン(職業語)の学習ですね。


いまも特定の分野のお仕事をするときは、時間の許す限り、その分野のレポートなどを先に読んで、用語の使い方をできるだけ学習します。また、調査現場に出て話す言葉と役所などのクライアント先で打ち合わせをするときの日本語の使い分けに関しても早々に学ぶことができたことは貴重な経験でした。

会社を辞めてフリーランスになってすぐ、当時はまだ翻訳や通訳の仕事も少ない頃、日本の読者向けのブラジル文化やスポーツに関する日本語のコラムや、日本で暮らすブラジル人に向けた記事を書く、いわゆるバイリンガルライターの仕事にも従事していました。この時期に、とくに日本語のライティング技術についても多くを学ぶことができました。

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長谷部 慶太 (はせべ けいた)

1967年 ブラジル生まれ(1歳で日本に移住。小学2年生のときにまたブラジルに帰国)
1992年 サンパウロ大学地学部卒業
1993年 日本の建設コンサルタント会社に就職
2002年 フリーランスの翻訳者・通訳

【続きはこちらから】あるポルトガル語翻訳者の雑記・後編

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