3回にわたり連載予定の「知的財産の通訳」。この分野の通訳をするにあたって押さえたい基本的な知識について、一般社団法人発明推進協会アジア太平洋工業所有権センター・センター長の扇谷高男さんがわかりやすく解説します。1回目の今回は「分野別特許の特徴」です。
人間が知識や知恵を使って生みだしたアイデアや作品の中には、財産的価値を持つものも多く含まれます。このようなものを総称して知的財産といいます。有用な知的財産は各国の法律で権利として保護されており、保護される権利は知的財産権と呼ばれています。主な知的財産としては、技術的創作物である発明やアイデアを保護する特許権・実用新案権、製品の美観を向上させ価値を高めるデザインを保護する意匠権、他の製品やサービスと区別するためのマークやブランドを保護する商標権、文学、美術、音楽等の創作物を保護する著作権、営業秘密等があります。(図1)
特許・実用新案制度があったために、様々な分野で技術革新が起こり、産業革命がなされて産業が目覚ましく発展し、私たちの生活は豊かになっていきました。また数多くのデザインやブランド、芸術作品等で、文化的にも充実したものとなってきました。内閣府で提唱しているように、IoTやAI、ロボットなどの新たな技術革新により、全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出す社会Society5.0が実現しようとしています。(図2)この新たな社会では、これまで以上に知的財産が重要な役割を果たしていくと考えられています。
知的財産権のうち、特許権、実用新案権、意匠権、商標権は、製品やサービス等産業と密接関連しているので、この4つはまとめて産業財産権と呼ばれます。(図1)そして産業と密接関連しているがゆえに、産業財産権、特に特許権は、産業技術分野によってその性質が異なっています。以下、具体的に説明しましょう。
医薬品分野
医薬品分野においては、一つの医薬品は、基本的に一つもしくは数個の特許権だけで守られています。医薬品開発には膨大な研究開発費が必要であり、候補化合物の中から効能ある医薬品として製品となるものは数万分の一ともいわれています。しかし一旦医薬品として承認されれば、世界中で使用され、莫大な利益を生みだします。したがって特許権の価値は非常に高く、ほとんどの場合排他的独占権として利用され、ライセンス等他者に使わせることはありません。また、特許権を取得しても、医薬品としての承認がおりなければ商品化できませんから、特許権を行使できない期間が存在します。それを補うため、特許権の期間延長という特殊な制度があります。
IT分野
ITの分野においては、一つの製品に多数の、物によっては数千もの特許権が存在しており、一社の特許権だけで独占して最終製品を製造することは極めて困難です。そこで複数企業がお互いの特許権を利用しあうのですが、その進化した形が国際標準への対応です。国際標準は、製品やサービス、システムなどの互換性を確保するため推奨されていますが、その国際標準を形成する技術に、自社の特許を必須特許として採用してもらうのです。そうすれば、強い国際競争力を確保することができます。このとき国際標準の必須特許権は、業界のメンバー企業にリーズナブルなロイヤリティでクロスライセンスされ、お互いにその特許に係る技術を利用可能となるのです。
化学物質・材料・ナノテク分野
化学物質・材料に関する発明は、出口すなわち用途が多岐にわたるものが多くあります。ナノテクノロジーも同様の傾向があります。これらの分野においては、化学物質や材料自体に関する発明と、用途に関する発明があります。用途発明の場合は、多くの場合、材料メーカーと用途を開発する他業種のメーカーが共同研究によって開発します。この場合、用途発明に関する特許権は、共有となったり、材料メーカーから製品メーカーへのライセンスという形がとられます。有用な化学物質、材料、ナノテクノロジーなどは、材料自体が基本特許として強い権利となり、多数の他者へライセンスして技術を利用させることになります。大学等が研究し、その研究成果を民間企業へ技術移転することで、産業の発展につなげることができると言われています。
装置・機械分野
一般的な装置・機械は、そのほとんどが自動制御されています。また、IoTにより情報通信機器を内蔵するようになってきています。したがって、装置・機械の特許については、IT分野の特許と同様の性質を持ち始めています。一方、装置・機械の機能や効率の向上のため次々と新しい材料が採用されています。したがって、装置・機械の発明には、化学物質・材料の用途発明が組み込まれてきています。
自動車を例にとって説明しましょう。最近の自動車には、自動運転システムが組み込まれています。またカーナビにIoT技術が搭載されて、ほとんどパソコンと同様の機能を持ち始めています。バッテリーにはリチウムイオン二次電池が利用されていますが、電池の正極や負極、セパレータなどに新材料が採用されつつあります。このように、自動車には、IT分野の特許も、化学物質・材料の特許も、複雑に絡み合いながら活用されているのです。
今や、特許は、分野を超えて、業種を超えて、場合によっては国境も超えて、戦略的にその活用を考えていかなければいけないビジネスツールとなってきています。
通訳・翻訳の際に留意したい点
知的財産関係の用語には、通常の訳とは異なるものがいくつかあります。
例えば、"claim"といえば、通常は、「主張」とか「賠償要求」と訳すと思いますが、特許の分野では「特許請求の範囲」を指します。
また、"application"は、応用とか適用と訳すことが多いと思いますが、知的財産権の分野では、「(知的財産権の)出願」もしくは「願書」を表しています。ITの分野では、「実務用ソフトウエア」を意味します。
そうすると、例えば、「実務用ソフトウエアの応用に関する特許出願」という日本文を英訳するときには、どうなるのでしょうか。
文脈(context)によって適切な訳は異なると思いますが、「実務用ソフトウエア」は、"business software" と訳しても良いと思います。「応用」は、"practical use" あるいは "utilization"、"conjugation"と言った単語が考えられます。「特許出願」は、"patent application "もしくは "patent filing" と訳します。これを前後関係の文章と整合性を取って使用して下さい。"patent application concerning to application of the application"では、ネイティブに笑われてしまいますよね。
医薬品やITの分野などでは、特殊な専門用語が使われる場面が多くありますし、知的財産権の分野でも、通常とは異なる専門用語が多く用いられています。特許では、異なる2~3の分野(技術分野と知的財産権分野)の専門用語が錯綜して用いられることがあります。
通訳者や翻訳者の方には、複数の専門分野の知識を求めることになりますが、通訳や翻訳に対するニーズは、今後ますます高まっていくと思われますので、多くの方々にご理解いただき、積極的に取り組んでいただきたいと考えています。
一般社団法人発明推進協会 アジア太平洋工業所有権センター・センター長。特許庁特許管理企画官、特許審査企画官、京都大学客員教授、内閣府参事官、特許庁審査第三部首席審査長、工業所有権情報研修館人材開発統括監を経て、2010年4月より現職。
一般社団法人発明推進協会ウェブサイト:http://jiii.or.jp/
【続きはこちらから】知的財産の通訳 第2回
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