第1回 タイポグラフィとの出合い【日英翻訳とタイポグラフィ】

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内容は間違っていないのに、読みづらいサインや訳文を目にすることもあるかと思います。それはタイポグラフィに配慮されていないせいなのかもしれません。『翻訳は見た目も大事』の執筆者、田代眞理さんが日英翻訳のタイポグラフィの重要性について説明します。

はじめに

今回から3回にわたって「日英翻訳とタイポグラフィ」をテーマにお話しいたします。


「日英翻訳とタイポグラフィ」——まずこのテーマからどういう話になるのかピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。そこで、第1回では私自身の話も織り交ぜながら、なぜこのタイトルを付けるに至ったのか、その背景をお話ししたいと思います。

タイポグラフィとは

そもそも「タイポグラフィ」(typography)とはなにか。『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)にはこう書かれています。

印刷物の体裁に影響を及ぼす、文字の書体、大きさ、配列のしかたなど、視覚効果の総称。もともと、(1)活字で組版すること、(2)活版印刷、(3)活版印刷されたものの体裁、などを意味した。(中略)タイポグラフィは現代では(中略)電子技術による印字なども含めて文字組版一般の視覚的な処理をいうことが多い。その意味で、文字を生かした「レイアウト」や「グラフィック・デザイン」と同義語として考えられるようになっている。

いま「タイポグラフィ」という言葉を使うとき、そこには大まかに言って2つの意味、つまり(1)文字を情報として読みやすく、伝わりやすいように配置すること(2)文字そのものをデザイン要素として使うこと、があります。今回取り上げるタイポグラフィは、(1)の「文字を情報として読みやすく、伝わりやすいように配置すること」をさします。

私が実務翻訳の世界に入って30年近くが経ちました。翻訳をする上で大切にしていることは、その翻訳を実際に使う人、利用者の目線に立った訳文づくりです。作業にあたっては、文化的な違いも考慮に入れながら、原文の意図やメッセージが翻訳先の言語でも適切に伝わるよう心がけています。訳文は分かりやすいだけでなく、読みやすさ、リズムも大切です。実際、私も訳したものを声に出して読んでみて、リズム感のある文章になっているか確認するようにしています。

リズムが大切という点では文字組版も同じです。工夫を重ねた末に内容・テンポともによい翻訳に仕上がったとしても、それが最終的にリズム感なくガタガタに組まれてしまっては台無しです。私がこの30年近く翻訳と同じくらい大切に思ってきたこと、それは「中身(翻訳)と見た目(組版)のバランス」です。これは私自身の経験からきています。

実務翻訳の仕事を始めて5年ぐらいは、翻訳者として以外にチェッカー・校正者として英語版の書籍や冊子の制作プロジェクトに多くかかわりました。経験豊かなネイティブエディターや日本人のDTPデザイナーと一緒に仕事をし、その中で自然と英文組版のルール、スタイルを身につけていくことができました。ネイティブ翻訳者の英文がエディターによってブラッシュアップされ(当時は画面上ではなく、印刷された訳文に手書きで編集が入っていました)、DTPデザイナーによって読みやすく組まれていく——チェックや校正をしながらその過程を見ることができたのは、今となっては恵まれた環境であったと思います。そしてこの経験を通じて、適切に文字が組まれることによって、訳文がより一層生きることを実感しました。

自分で翻訳をする際にも、文字組版の大切さは折に触れて感じています。ご存知のように、実務翻訳では取り扱うジャンルが多岐にわたります。毎回新しい分野に取り組むといっても過言ではなく、背景を知るには日本語・英語を問わず、いろいろな資料にあたる必要があります。納期に追われながら作業をすることもあり、私自身、限られた時間で情報を早く見つけようとする中で、次第に文章の「見た目」が気になるようになってきました。文章の体裁によって内容の頭への入り方がまったく違うと感じるようになったのです。そういう視点から仕事や日常生活の中で日本の英文組版を見てみると、利用者目線からは程遠い実情が分かってきました。特に印刷物の場合によくあるのが、もともとの日本語のレイアウトの中に無理に英語を収めようとして大変読みづらくなっているケースです。実際にここから情報を得ようとする人、英語の情報だけが頼りの人のことまで考えが及んでいるとは思えず、せっかくの情報なのにもったいないと、こういう事例を見るたびに残念に思ってきました。

今はコロナ禍で様相が一変しましたが、しばらく前までは「インバウンド」という言葉がよく聞かれたように、海外から日本を訪れる観光客が増え、英語を含めた多言語での情報を目にする機会が増えました。外国人の読者を意識した、英語として自然な見た目の組版も次第に見られるようになってきましたが、一方で、相変わらず読むのにエネルギーのいるような、リズム感に乏しい組版が多くあるのもまた事実です。

良質の文章であっても見た目が悪ければ、逆に、見た目がよくても文章の質が悪ければ、せっかく情報を発信しても、期待したような効果は得られず、残念な結果に終わってしまいます。内容とそれに見合った組版とは切っても切れない関係であり、そのことを日本で英語で情報発信する人たちにもっと知ってほしい——そんな思いから、2019年秋に『英文サインのデザイン:利用者に伝わりやすい英文表示とは?』(BNN新社)という共著本を出版しました。次回からはその本の一部をご紹介するとともに、日本の英文タイポグラフィの問題点と翻訳で解決できることについて、お話ししていきたいと思います。

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田代眞理(たしろまり)

1992年よりサイマル・インターナショナルのインハウス翻訳者として、日英・英日の翻訳、チェック、編集、校正に従事。フリーランスでは翻訳のほか、英文出版物の制作で得た知識をもとに、日本独特の英語表記を改善するための活動も行っている。訳書に『欧文タイポグラフィの基本』『ロゴ・ライフ:有名ロゴ100の変遷』(グラフィック社)、『私の好きなタイプ:話したくなるフォントの話』(共訳)、『図解で知る欧文フォント100』(BNN新社)、共著書に『英文サインのデザイン:利用者に伝わりやすい英文表示とは?』(BNN新社)がある。



【続きはこちらから】第2回:日本で見られる英文表記の特徴

 

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