アポロ月面着陸と同時通訳【小松達也アーカイブス 第2章】

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連載「アーカイブ・シリーズ」では、日本の同時通訳者の草分けでサイマル・インターナショナル創設者のおひとりでもある小松達也さんのエッセイを特集します。50年間にわたる現役通訳者時代のエピソード、プロ養成者の視点から見た通訳者についてなど、第一線を走り続けた小松さんならではの思いやことばをお届けします。

アポロ月面着陸がもたらしたもの

通訳史上、画期的な出来事

1969年7月20日がアポロ月面着陸の日だそうです。月面に降りたニール・アームストロング船長の

“That’s one small step for a man, one giant leap for mankind.”
「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。」

というメッセージが、テレビを通して日本中のお茶の間に届けられました。もちろん同時通訳者の声によってです。これは世界史的に見ても大事件でしたが、通訳の歴史から言っても画期的な出来事でした。これによって通訳者は一般市民にも親しまれる存在になりました。このことがその後の通訳業界に及ぼした影響は非常に大きかったといえるでしょう。

通訳者は、専門職としてはプロ通訳者の発祥の地でもあるヨーロッパの方がより確立していると言ってもいいと思います。しかし、国民一般にも親しまれているという点では日本が一番ではないでしょうか。そのことにアポロ計画での同時通訳が大きな役割を果たしたのは間違いありません。

テレビでの同時通訳

テレビでの通訳はそれより少し前から行われていました。最初はNHKの朝の番組での、海外のVIPが出演した時の逐次通訳でした。私もよく出ました。テレビでの同時通訳は民放が最初だったと思います。政治や経済の問題についての討論会の場で同時通訳を使ってくれたのです。これがうまくいったので、テレビでの同時通訳が定着することになりました。アポロ関係でも最初に中継放送に同時通訳を使ったのは民放でした。たしかテレビ朝日だったと思います。月に着陸したのはアポロ11号ですが、月軌道をまわりながら着陸の試験をしていた9号くらいからテレビによる中継が行われ、私は1968年の秋ごろからテレビ朝日で同時通訳の仕事をしていました。ともかく中継雑音がひどいのと専門用語が多いのとで、大変難しい仕事だったのを覚えています。

NHKがアポロ中継で同時通訳を使うようになったのはそれからしばらくしてからです。NHKから同時通訳者の依頼があったとき、私はテレビ朝日、村松さんはフジテレビにコミットしていましたので受けることができません。そこでアメリカ大使館の西山千さんに電話をして「NHKからこういう依頼があるのだけど、あなたやりませんか」と誘ってみました。こうして、西山さんがアポロの同時通訳者として登場したのです。彼は大学で電気工学を専攻しただけあって専門用語にも強く、分かりやすいとてもいい通訳をしました。こういう番組でのNHKの強さは圧倒的でした。アポロ月面着陸とともに、彼が通訳界に果たした貢献には感謝するものです。

こうして同時通訳はテレビというメディアの大切な一部となりました。今日ではNHK、CNNを始め、テレビの国際ニュースには同時通訳が欠かせません。放送通訳は質的には課題もありますが、ニュースの即時性という面から今後とも重要な役割を果たすと思います。これもアポロ月面着陸のテレビ中継のおかげだと言っていい過ぎではないでしょう。



※この記事は2009年7月にサイマル・インターナショナルのWeb社内報に掲載されたものです。

小松達也さん
小松達也(こまつたつや)

東京外国語大学卒。1960年より日本生産性本部駐米通訳員を経て、1965年まで米国国務省言語課勤務。帰国後、サイマル・インターナショナルの設立に携わり、以後、社長、顧問を務める。日本の同時通訳者の草分けとして、首脳会議(サミット)、APECなど数多くの国際会議で活躍。サイマル・アカデミーを設立し、後進の育成にも注力した。サイマル関係者の間ではTKの愛称で親しまれている。

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