翻訳者・ライターとして、旅するように生きていく【マイストーリー】

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「なぜ通訳者翻訳者になったのですか」――答えはきっと人それぞれ。バックグラウンドや経緯、めざす通訳者翻訳者像など、通訳者翻訳者が10人いれば、10通りの道があるはずです。この「マイストーリー」ではサイマル・インターナショナルで活躍する通訳者翻訳者の多彩なストーリーを不定期連載でご紹介。今回はライターとして翻訳者として、世界各地で活躍する斎藤栄一郎さんの登場です。

昼は編集者、夜はフリー翻訳者の二重生活

バブル絶頂期の1987年、大学3年生のときにアルバイト先の社長から海外文献の翻訳を大量に頼まれました。大学の専攻は翻訳や語学とは無縁だったため、世の中にはこういう仕事があるのかと新鮮に感じました。が、自分の訳を見直していて愕然としました。過去に翻訳書を読んだときによくわからず放り出した経験があったのですが、いざ自分の訳を前にしてみると、まさしく自分が翻訳書を好きになれなかった理由がそこにありました。自分に腹が立って、ましな日本語にしようと格闘が始まったのですが、その作業に不思議なやりがいを覚えました。

これを機に、英字新聞の求人欄で在宅翻訳者募集広告を見つけては応募し、産業翻訳の仕事を数社からもらえるようになりました。当時はインターネットもなく、PC所有者もほとんどいない時代でした。私は文系でしたが電気・通信関係をかじっていたことや欧州の動向を研究した経験が幸いして、当時旬だった通信自由化や欧州統合の分野の翻訳にありつけました。その勢いで卒業後もそのまま翻訳の世界へ進みます。

社会人1年目の夏、自分の実力も業界の常識も知らない体たらくではまずいと反省し、翻訳も手がける小さな制作会社に編集者として入社します。10月から翌3月までの半年限りと決意して昼は編集者、夜はフリー翻訳者の二重生活。半年後の90年、フリーに復帰しました(サイマルからは2003年ごろから仕事をいただくようになりました。自力では手の届かないクライアントの仕事に出会えるのが魅力です)。

ライター兼業で現場・現物が身近に

92年、あるビジネス誌が米経済誌の記事を転載するため翻訳者を探しているという話が転がり込み、運良く担当できることに。経営と情報にまたがる内容の記事で、ビジネス誌ではまだ新しい領域でした。納品後、担当編集者と食事をする機会があり、「先日の記事の日本版を作るとしたら、こういう切り口はどうか」と提案したら、「この分野のライターはまだ少ないので、自分で書いてみないか」と誘われました。そこから翻訳6割、ライター4割の兼業が始まりました。

翻訳を始めたころはネットもなく、原稿に登場する技術や製品が非常に遠い存在で、現物を見たり関係者に話を聞いたりできず、もどかしい思いをしました。ところが、ライター兼業後は業界を問わず、いろいろな場に取材で足を運ぶ機会が増えたため、受注した翻訳の内容が、取材で追いかけているテーマと重なることがたびたびありました。雑誌も翻訳も旬のテーマを扱うことが多いので当然なのでしょう。おかげで現場・現物に触れる機会が激増しました。作業船に乗り込んで海底ケーブル敷設の取材をしたら、海底ケーブルの論文翻訳が来たり、最新ウェブブラウザの記事を翻訳中に、来日した開発元CEOのインタビューが回ってきたりと、相乗効果を実感する瞬間が多数ありました。牡蠣養殖業者の取材記事を書いた翌日、海外の牡蠣養殖技術に関する翻訳が来たときは、さすがにのけぞりました。

日頃から気をつけていることは、新聞にせよ書籍にせよ、同じテーマや出来事について、英語と日本語の両方で読むようにしています。自分が手がけている分野の専門紙誌は英・日とも継続して目を通し、“土地勘”を養い、業界の空気に触れるようにしています。何より重要なのは、日頃から幅広い業界・分野の人々と話をする機会や関係を持つことです。生きた情報源であると同時に、翻訳の最終読者でもあるからです。

翻訳作業中は、「それでまっとうな日本語か?」といつも自問しています。当事者意識も重要です。例えば販促資料の翻訳なら、自分もマーケティング部の一員として売り上げに貢献するという意識が必要でしょう。一方、特にライター兼業の翻訳者が陥りがちな「思い入れたっぷりの誤訳」にならないよう注意しています。日本語表現では冒険しても、メッセージは忠実に伝えなければなりません。もう1つ付け加えるなら、自分にできない分野を見極めておく姿勢も大切です。

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辞書1000冊“自炊”してノマドワーカーに

若い頃にバックパッカーだったほどの旅好きですが、仕事を始めてからは貧乏性なのでまとまった休暇も取っていませんでした。また、仕事場には約1000冊(本棚5つ分)の辞書類があり、そこから離れられない事情もありました。が、2009年に辞書を全部断裁・スキャンしてPDF化しました。俗に言う“自炊”です。1冊残らずノートPCに放り込んだら仕事場がすっきりしましたが、そこにいる理由までなくなってしまいました。

場所の呪縛が解けたからか、長期休暇を取らなくても自分の好きな街に暮らし、そこで仕事をすればいいと発想を転換。以来、海外のお気に入りの街で1〜3カ月ほど暮らしたら、次の街に移り、たまに東京の自宅に数日戻って雑事をこなすスタイルになりました。本拠地のタイ・チェンマイのほか、(中国語とスペイン語の練習も兼ねて)スペイン・マドリード、台湾・台中、ベトナム・ホイアン、中国・陽朔、マレーシア・クアラルンプールなど、自分にとっては勝手知ったる街が主な拠点です。アパートで仕事をし、息抜きで外に出ると海外という不思議な感覚が味わえます。タイ滞在時に訳していた書籍に、ベトナムのオートバイ市場の説明があったのですが、経験的に最新事情とズレがあると感じ、現地に移動して軽く取材後に著者に伝え、日本版は最新の内容に書き換えてもらえました。現場の近くで翻訳する醍醐味かもしれません。

3年前に田舎で一人暮らしの母が要介護の身になりました。介護できるのは私だけなのですが、1カ月実家で介護(家事全般と見守り)、翌月は従来どおり自分を“放牧”させながら仕事に集中(母はショートステイ施設滞在)というサイクルを続けています。もっとも、今年はパンデミックで久々に移動のない暮らしになっています。ポストコロナの時代はどんなライフスタイルになっていくのでしょうか。

 

齋藤栄一郎さん
齋藤栄一郎(さいとうえいいちろう)

早大卒。翻訳者・ジャーナリスト。主な訳書に『データ資本主義』(NTT出版)、『イーロン・マスク未来を創る男』、『ビッグデータの正体』、『1日1つ、なしとげる』(以上講談社)、『イノセントマン ビリー・ジョエル100時間インタヴューズ』、『センスメイキング』、『小売再生』(以上プレジデント社)など。公式サイト:www.e-saito.com

 

 


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