通訳現場での様々なエピソードや通訳マーケット事情などについて、通訳者がリレー形式でお届けする「通訳の現場から」。今回は、中国語通訳者の神崎龍志さんが、最近レベルの向上が著しいと言われる「自動通訳(翻訳)機」を実際使い、その性能をチェックしました。果たしてその結果は……?
まず、はじめに自動通訳機という用語について。巷では、AI翻訳機や自動翻訳機という名称が流通していて、自動通訳機という言い方はあまり見かけない。ただ、翻訳機とはいえ、音声認識機能とテキスト変換機能を持ち、それらをすぐに音声によりアウトプットすることができ、通訳的な機能を備えているので、ここでは自動通訳機と称した。また、AI通訳機としなかったのは、AIがなんだか知的で、高性能で、人間の能力を超えられるという錯覚を与えてしまうのを避けるためだ。
現在、私は現役の会議通訳者、放送通訳者を続けながら、明海大学とサイマル・アカデミーで、中国語の通訳を教えている。大学生にも社会人にも、中国語通訳者を志願するひとは相当数いる。大学生の多くは通訳という職業に漠然とした憧れを抱き、社会人の多くはかなり意識的に通訳者をめざしている。
最近、大学生、社会人のいずれからも「自動通訳機の性能が向上していると聞きますが、将来、通訳という職業はなくなってしまう可能性はありませんか?」という質問をされることが少しずつ増えてきた。私も常日頃から自動通訳機や通訳アプリには興味があったので、今回、この貴重な機会をお借りし、会議通訳者の視点から自動通訳機およびアプリの実用性について考察してみたい。
「自動通訳機A」 VS 「通訳・翻訳アプリB」
概要について
試したのは「自動通訳機A」と「通訳・翻訳アプリB」。
真っ先に断っておかなければならないのは、両方とも会議通訳が可能とは銘打っていないという点である。ただ、いずれも通訳機能はあるのだから、プロのアスリートがオンラインのスポーツゲームで遊ぶ感覚で、その腕前を試してみよう。
まずは「自動通訳機A」。言語は、あくまで日本語から中国語、中国語から日本語の通訳翻訳機能を使って、買い物やホテルの受付でのチェックイン、チェックアウトなどで使うような会話文を入れてみた。次々に自然な訳が出てくる。観光や出張の際のやり取りには、相当使える。こういう日常的な場面での事務的やり取りにおいては、通訳者の手を借りる必要はほとんどないぐらいのレベルに達している。
次に「通訳・翻訳アプリB」。こちらも日常会話に関してはまったく支障なく、すらすらと「訳して」くれる。
ただ、日常会話なら簡単に「通訳」できるというのは、ニュース記事などで読んで知っていたため、特に驚きはなかった。私が確かめたかったのは、国際会議の主催者がこれを会議通訳者の代わりに少しでも使うことができるかどうかだ。専門用語の訳語の正確さと長文がどれほど通訳可能かの2点について見てみたいが、今回はひとまず専門用語に当たってみることにする。
専門用語の訳出を比較する
以下に、私が過去に作成した専門用語集のなかから、分野は無作為に、用語は辞書に掲載されている訳語と会議通訳現場で使っている訳語が異なるものを中心に選んでみた。なぜなら電子辞書に載っている専門用語などはとっくにデータベース化されているはずだからだ。ちなみに、通訳者によって得意分野や経験分野は異なるので、他の通訳者が選ぶとすればまた別のセレクトになるはずだ。
●日本語→中国語
(カッコ内は中国語訳。わかりやすいように簡体字ではなく、できるだけ日本語漢字で表記した)
自動通訳機A | 通訳・翻訳アプリB | |
---|---|---|
アウストラロピテクス(南方古猿) | × | × |
コンプライアンス(合規) | × | × |
シンジケートローン(銀団貸款) | 〇 | × |
セロトニン(5‐羟色胺) | 〇 | 〇 |
テロメア・エフェクト(端粒効果) | × | 〇 |
掃海艇(掃雷艦) | × | × |
著名商標(馳名商標) | × | × |
通貨バスケット(一籃子貨幣) | × | × |
中食(内餐) | × | × |
立証責任(挙証責任) | × | × |
●中国語→日本語
(カッコ内は日本語訳。左の中国語は日本語漢字で表記した)
自動通訳機A | 通訳・翻訳アプリB | |
---|---|---|
保暖衣(ヒートテック) | × | × |
日冕(コロナ) | × | × |
特許経営(フランチャイズ) | 〇 | × |
龍門式起重機(ガントリークレーン) | × | 〇 |
邪悪軸心(悪の枢軸) | × | × |
蜂膠(プロポリス) | × | × |
かなり専門的だと思われるかもしれないが、関連する現場においてはどれも「常識的に」使われるもので、特に難しい用語ではない。既存の辞書の「正しい」訳語がそのまま採用されているが、実際の現場ではそういう言い方はしないというものもかなり存在した。
因みに、ここで急いでひとつ申し添えなければならないことがある。それは定訳がきっちり決まっているカタカナ専門用語に関しては、「通訳・翻訳アプリB」はデータベースとしては相当充実しており、「日中カタカナ用語辞典」としては十分に使い出があるといえる。ただ、カタカナ用語以外の日本語の専門用語についてはかなり頼りなく、稚拙な訳や意味の分からない訳語が多く、反応ゼロの場合もかなりあった。
なお、以上の実験だけでは用語数が少なすぎて、説得力がないのではないか、と思う向きもあるだろう。しかし、通訳者としてこの正解率を見れば、これで十分であると私は判断した。そもそも会議通訳というのは、訳語をひとつ間違えただけでも、致命傷になりかねない世界だ。
それでも、間違っている訳語をひとつひとつ訂正し、新しい用語もどんどん増やしてやればデータベースとして充実するのではないか、と思われるかもしれない。たしかにそういう側面はあるだろうが、実はそれほど単純な話ではない。
なぜか。まず、市販されている辞書やデータベースやネット情報以外の専門用語と訳語をどこから収集してくるのか、という問題がある。すぐに思い当たるのは、企業や業界団体や学会だが、企業、団体、学会ごとに翻訳や通訳に便宜を図るために、わざわざ専門用語対訳データベースを構築しているわけではない。もちろん、皆無とは言わない。企業でも社内通訳を行っているところは、その分野の専門用語に通じている社内通訳者がいてデータベースも存在するだろう。ただ、仮に、一部の企業が所有するデータベースを自動通訳機メーカーなどが購入したとしても、収集可能な語彙数においても、専門用語の訳語の品質面でも限界がある。
会議通訳者 VS 自動通訳機
実は、もっとも広範囲にわたって専門用語の対訳を渉猟しているのはプロのフリーランス通訳者である。これは考えてみれば当たり前の話である。会議通訳者にとって、自分が担当する会議で使われる専門用語を逐一吟味し、定訳がなければ適訳を探し、整理し、用語集を作成することは、もっとも重要な準備作業のひとつである。
では、会議通訳者の用語集とはどんなものか。形式は各自異なるものの、そこには市販の辞書やネット検索ではカバーしきれない、様々の業界、企業、専門技術、学術分野別の専門用語と対訳が網羅されている。銘々の会議通訳者が、通訳現場でひとつひとつ回収してきた、生きた情報がそこにはある。それを10年、20年、30年という長い歳月をかけながら、蓄積する。つまり、 個々の会議通訳者のPCや手書きのノートと当人の頭脳の中にこそ、現場で本当に使える専門用語と対訳が詰まっている。通訳者にとって、それらは長年にわたる通訳経験の証であり、貴重な知的財産でもある。当然、売り買いしたり、ボランティア精神でネット上に軽々に公表するようなものではない。
会議通訳者にとって、専門用語とその訳語がどういう性質のものなのかを理解してもらえれば、自動通訳機による長文の通訳がどの程度可能かについても、実は推して知るべしなのである。いやいや、単語レベルの通訳には欠陥があっても、長文ならうまく訳せるかもしれないではないかなどという考えは、順序としてまったくナンセンスだ。ひとつひとつの訳語の厳密性を欠いたまま、長文をいくら訳しつづけたところで、それは誤訳としか見なされない。
会議通訳者は、たとえば丸1日の同時通訳の会議であれば、3人で回していく。スピーカーには、ひとり1時間なら1時間という時間が与えられており、3人で交代しながらそれを同時通訳していく。自動通訳機が、たとえ1時間でも、途切れることなく、的確にリスニングをこなし、しかも文脈を見失わず、生同時通訳するなどという芸当は、到底できるとは思えない。単語にミスがあってはならないだけでなく、ひとりひとりのスピーカーが話す内容、口調、スピードはすべて違うのだ。
音声言語は囲碁や将棋のように、駒が動けるマスや交点の数が決まっていて、数学的にデータ処理ができるわけではないのだ。音声認識処理のディープラーニングを絶えず積み重ねていっても限界に突き当たる。そもそも、最初から人間社会の情報を後追いしているのだから、人間を追い抜くことなど不可能ではないか。
以上のように、専門用語だけに注目しても、 自動通訳機が会議通訳者のお株を奪うこともなければ、ましてや会議通訳者の需要がなくなることもないということがわかる。ただし、「VoiceTra」については、音声認識が可能な日中カタカナ辞典として、プロの通訳者でもこれまで電子辞書を使っていたのと同じ感覚で使用することは可能である。
冒頭で述べた通り、最新の自動通訳機は、定型句の多い観光やショッピングなどの通訳シーンではかなり使える。それは、自動通訳機の高性能化により、プロ通訳者への入り口のハードルが上がったことを意味する。よって、これから通訳者をめざす人は当初から、 より専門性の高い分野に対応できる通訳能力を身に付けなければ生き残れないという強い覚悟が必要であろう。
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