第7回 原文を換骨奪胎せよ(後編)【「訳し下ろし」の同時通訳術】

本連載では、現役の会議通訳者・池内尚郎さんが同時通訳の実践的技法を紹介していきます。ご自身が、日々の実践を通じて気付いたことを、通訳者の方や通訳者をめざす方々に向けて「実践則」としてまとめたコラムです。第7回は「原文を換骨奪胎せよ」の後編をお届けします。

言葉を補え

【まずは前編のおさらい】


文学者で翻訳家の安西徹雄・上智大学名誉教授(故人)は、英語は名詞中心であるのに対して、日本語は動詞中心であると述べている。だから「英語では名詞で書いてあっても、日本語ではこれを動詞に読みほどいてやったほうが、自然な訳文を得やすい」(『英語の発想』ちくま学芸文庫)という。どういうことかと言うと、英語で名詞句のものは日本語で「〜こと」と訳すような節に置き換えると、自然に聞こえるということだ。

"…there are a number of challenges for the pursuit of a comprehensive constructive engagement with North Korea."(注1)


"the pursuit of 〜"は名詞句だが、この部分を「北朝鮮との包括的な建設的関与の追求」ではなく、「北朝鮮と包括的な建設的関与を追求すること」と訳すと、「北朝鮮と包括的な建設的関与を追求することには、いろいろな問題がある」と続けることができて、自然な訳文に仕上がる。この例では両者の間にさほどの違いは出ないが、名詞句が連なるような長文の場合、この手法は威力を発揮する。

"Japan restarted its reconstruction efforts to bring the economy back to the pre-war level as soon as possible."


上記のような目的を表す不定詞"to"を伴う表現の場合、この程度の短文なら最後まで聞いてから訳出を始めても差し支えないが、訳し下ろし法でやることもできる。「日本は復興の取り組みを始めました。目的は早急に経済を戦前レベルまでに戻すことです」と、二文に分けて「目的は」という言葉を補う。しかし、目的を表す不定詞"to"を伴う文章の場合は、言葉を補わず、そのまま文を続けても意味はよく分かることが多い。

 

日本は復興の取り組みを始め、早急に経済を戦前レベルまでに戻そうとしました

 

「簡にして要を得る」は、優れた通訳者になる要諦である。

分割し接続せよ

関係代名詞は厄介だ。学校英語で文法学習を刷り込まれていると、「訳し上がり」のクセがなかなか抜けない。しかし、関係代名詞は、分割して言葉を補って接続することで、多くの場合、訳し下ろし法が応用できる。まずは分割して、必要な言葉を繰り返して通訳する例。

"It was three miles from a little town the name of which I have forgotten." (注2)

「ある小さな町から3マイルほど離れたところでした。その町の名前は忘れてしまいました」


 次は、分割して接続詞を補い接続させる例。

"She solved in five minutes a problem that I had struggled with for two hours." (注2)

「彼女は5分で問題を解きましたが、私は2時間もかかりました」


ここで「但し書き」。「訳し下ろし」法は万能ではない。訳し下ろしができない関係代名詞文は少なくない。そのような場合、無理矢理、頭から訳そうとすると、長文になり逆に分かりにくくなってしまう。同時通訳に秘術(silver bullet)はないことを肝に銘じておこう。

 

 表面の形にこだわるな

以上、原文を換骨奪胎する方法を紹介してきたが、すべて英語から日本語への事例だけなので、「では日本語から英語はどうか」と読者は問いたいはずだ。残念ながら、ここでは紙幅の都合上具体的な文例は紹介できない。ただ、ここで述べた4原則は反対方向にも基本的に通用する。

 

「品詞は自由に選べ」では、日本語に合わない「無生物主語」を英語では活用できる。「逆転の発想で行け」は文字通り、そのまま応用できる。「言葉を補え」は、方向が逆になる。日本語で「節」で構成された文章は、英語で「句」に置き換えると、締まりのある文章ができる。「分割し接続せよ」は、英日訳ではとくに関係代名詞に焦点を当てたが、日英訳の場合でも分割し接続する方法は有効だ。とくに英語が母語でない場合は、運用能力が母語よりも劣るので、あまり複雑な文章や長い文章をつくらず、短めの文章を積み重ねるように表現して行く方が聞き手には分かりやすい。


最後に、「原文を換骨奪胎せよ」ということを教えてくれたのは、先述の安西徹雄・上智大学名誉教授だ。読者の方々には、『英文翻訳術』と『英語の発想』(どちらも、ちくま学芸文庫)をぜひ読んでほしい。内容の多くは、通訳それも同時通訳にそのまま応用できるものだと納得してもらえるだろう。


通訳・翻訳に当たって大事なことは、「(原文の)表面の形にこだわらない」ことである。安西先生が残してくれた後学への教えである。

 

注1 "US-Japan Relations in an Era of Security Uncertainty"(Mike Mochizuki)から

注2 『英文翻訳術』(安西徹雄著・ちくま学芸文庫)から

 

 
池内尚郎(いけうちひさお)

サイマル・インターナショナル専属通訳者。上智大学外国語学部ロシア語学科で学ぶ。国際交流や国際政策に関わる仕事の後、サイマル・アカデミーで学び通訳者に。政治・経済・文化・科学技術など幅広い分野で活躍。同校通訳者養成コース会議通訳クラスで後進の指導にあたる。

【続きはこちらから】「訳し下ろし」の同時通訳術 第8回

 

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