第3回 各国の医療制度の違い【医薬通訳事始め】

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医薬業界と他の業界との違いや、医薬に関わる通訳業務の種類、必要な知識、業務に取り組むにあたっての心構え、勉強方法などについて、医薬業界における通訳の第一人者である重松加代子さんが4回に渡ってお話しします。第3回は「各国の医療制度の違い」です。

医学分野の通訳をするにあたり、各国の医療制度の違いを知っておくことは役立ちます。製薬分野では新薬承認のシステムにも違いはありますが、現在、ICH(医薬品規制調和国際会議)でそのギャップを埋めるべく取り組みが行われているのでここでは触れないこととします。

アメリカ

アメリカは民間保険の国であると考えている人が多いと思いますが、実は現時点でも政府管掌の医療保険は存在します。

 

<アメリカの公的医療保険 >f:id:simulhk2019:20191209113739p:plain

上記二つの政府管掌保険の対象とならない国民は私的医療保険を購入し、医療費が負担されています。カバーされる医療内容は、加入している保険とかかる医療機関により異なります。(医療機関は、保険によって決定される場合もあります。)

 

保険料は、給与所得者の場合は雇用主と従業員の間で折半されている場合もあれば、雇用主が全額支払っている場合もあります。自営業者の場合は本人が保険に加入し保険料を全額支払います。

 

アメリカでは、医療保険に加入していない無保険者が多いとよくニュースなどで取り上げられ、多くの人は貧困層に無保険者が多いと考えているかと思います。実は無保険者の多くは、メディケイドの対象から外れる所得層(最貧困層ではない)または雇用主が保険料の負担をしていない中小企業に働く人が多く、高い民間の保険料を支払うか、それを日常の生活費や子供の教育費に回すかの二者択一をした結果、後者を選んでいる人が多いと聞きます。その他、不法移民をしてアメリカに入り、IDカードを持たない人も無保険者となります。

 

無保険者の場合、一旦病気になると、非常に高い医療費を自己負担することとなり、昨今の高額な先進医療を受けることなど到底不可能となります。このことが国民の健康に大きな影響を及ぼして、さらには病院側の負担も増やすことになります。病院側の負担を増やす理由は、保険の有無にかかわらず、医療を受けられる救急外来を彼らが利用するからです。救急受診した人に対しては、支払能力の有無にかかわらず、病院は治療する義務があるので、その結果診療報酬が受け取れない事態が生じます。病院経営者は一定額をこれに当てるため留保していますが、それを上回る数の無保険者が救急外来を利用した場合、赤字となります。

 

このような問題を解消するために国民皆保険に向けての提案がなされていますが、一部の、特に保険料全額を雇用主に負担してもらっている労働者や富裕層の人たちは、なんで他人のために保険料を払わなければならないのかという不満があり、なかなか国民皆保険実現には至らないと言われています。 

 

アメリカの制度でもう一つ特記すべきは、病院の費用に医師報酬が含まれない点です。アメリカでは、一部の病院を除き、病院で働く医師全てが勤務医というわけではありません。レジデントという若手の医師を除き、いわゆるコンサルタント医と呼ばれる専門医は開業医扱いで、病院のオフィスを借りてその病院に来る人の診療を行います。医師報酬を除く、入院費、検査費、レジデントや看護師、検査技師などの技術料は病院からの請求に含まれますが、日本でいう医師の診療報酬は医師個人に支払った上で、利用者は後日、両方に対して保険還付の請求手続きをするそうです。また薬に関しては、承認薬全てがどの病院でも使われるわけではなく、各病院の処方集に含まれている薬が処方される点も日本とは少し違っています。

ヨーロッパ

少しづつ違いはあるものの、英国や北欧にも日本と同じような国民皆保険制度は見られます。

◆イギリス

NHSの単一支払者制度による公費負担医療制度です。原資は国民の税金で基本的には自己負担はありませんが、薬代については、イングランドでは一部薬剤処方料が自己負担となっています。また、公費負担医療制度による待ち時間が非常に長い時期があったため、民間保険も一部採用されています。

どの医療手技や薬が公費対象となるかについてはNICE(国立医療技術評価機構)が診療ガイドラインを制定しています。介護など医療と福祉の連携については、地方により制度が異なります。

以前、日本の研究者と共にニューキャッスルでの定点観測に参加したことがありますが、毎年行くたびに制度が変わっていました。ただいまもこの地域は、医療と福祉の連携では先進的であると聞き及びます。 

 

スコットランドは独自の動きも見られます。二次医療以降の病院でのケアを受けるには家庭医の紹介が必要であり、家庭医は人頭割りで国から医療費の支払いを受けています。家庭医は地域により独立運営している場合もあれば、保険センターでグループ診療しているケースもありますが、医師報酬に関する利用者負担はありません。

◆フィンランド

フィンランドでは自治体が医療提供の責任を担っていますが、医療政策は国が定めています。プライマリーケア(一次医療)では一回上限額が定められ、同一疾患でそれを超える費用は公費で賄われます。また民間医療機関でケアを受けた場合についても費用の50〜60%還付されているようです。

一度同行していた人が歯痛を訴え、やむをえず保健センターで治療を受けましたが、外国人旅行者であるにもかかわらず、治療費の支払いは一切必要ありませんでした。それでも長期に罹病すると、低所得者には負担が大きく不平等だとの声があると言われています。

◆ドイツ

日本で介護保険制度が生まれた時、先行していたドイツに倣ったところが多くあります。当時ドイツも日本同様高齢化や医療費の高騰の中で医療保険制度(ドイツでは医療金庫)が破たんしつつあり、特に高齢者介護を医療保険で賄うことが困難となり、新たな取り組みとして介護保険(フレーゲカッセ)が導入されました。当時日本からも多くの専門家が介護保険の研修に出向き、私もそれに同行したことがあります。

 

介護保険の段階としては日本より粗い区分(当時日本は要介護1~5、ドイツは3段階)で、日本の専門家からは、「一つの区分の中でかなりの差が出るのでは?」との懸念が表明されていました。その疑問に対するドイツ側の答えは、「どこで区切ったとしてもその区分の上下で開きがあるのは仕方なく、細分化しすぎると評価や判断も複雑になるので3段階にしている」とのことでした。

 

他の例では、旧東ドイツ復興税など当初5年間と言われながら、いまだに旧西ドイツの人は払い続けていて、不満もあるけれど、旧東ドイツがまだ西ドイツと同じレベルになっていないのだから、負担するのは国民の義務だと考えている人も多くいます。同じようなメンタリティを介護保険に見て、非常に面白い気がしました。

最後に

今回書いたことは私が直接見聞きしたことに限っていますが、医療制度や保険制度は常に変化しています。ただし、どの国も完全平等なシステムを作ることはできないけれど、それぞれ工夫しながら、その国の社会制度との整合性を見ながら制度が構築されており、違いを理解することは時に医学や製薬の通訳をする際に演者の原稿を読む上で助けとなることがあります。この分野を目指している人には単に医学の科学的知識のみならず、社会制度にも関心を持って知識を広げていただきたいと思います。

 

重松加代子
重松加代子(しげまつかよこ)

医学、薬学分野での通訳の第一人者。通訳歴は40年近くに及ぶ。圧倒的な知識と通訳スキルで、各種医学学会、セミナー、会議などの同時通訳者として活躍。また、県立広島大学にてコミュニケーション概論特別講義の講師も務めるなど、多方面にわたり精力的に活動。主な通訳実績は、数多くの機構相談をはじめ、慢性がん看護学会、日本精神神経薬理学会、日本胸部外科学会、日本薬学会、日本整形外科学会、アジア皮膚科学会、アジア慢性医療学会など。

 

 

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