第2回 国・地域による知的財産の特徴【知的財産の通訳】

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3回に渡り連載予定の「知的財産の通訳」。この分野の通訳をするにあたって押さえたい基本的な知識について、一般社団法人発明推進協会アジア太平洋工業所有権センター・センター長の扇谷高男さんがわかりやすく解説します。2回目は「国・地域による知的財産の特徴」です。

先進国と発展途上国

先進国とは、工業化が進み、生活水準が高く、経済発展が進んでいる国を指し、経済発展が遅れている国を、発展途上国と言います。よく言われているのが、OECD経済開発協力機構)に加盟している国が先進国、それ以外が発展途上国と定義されているということです。しかし、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)は、OECDにはまだ加盟していませんが、経済的には先進国と言ってもよいかもしれません。この先進国と発展途上国で特許や意匠、商標の出願件数にどのような違いがあるか見てみましょう。

 

ここでは、先進国として、5大特許庁と言われている日本、米国、欧州、中国及び韓国の特許庁への出願件数を見ていきます。欧州については、特許は欧州特許庁EPO)が、意匠及び商標は欧州連合知的財産庁EUIPO)が、出願の受理、審査、登録等を行っているので、EPO及びEUIPOへの出願件数を比較対象とします。

 

一方、発展途上国としては、ASEAN諸国を取り上げます。ASEANは、東南アジア10か国から構成されています。過去10年間に高い経済成長を見せており、今後、世界の「開かれた成長センター」となる潜在力が世界各国から注目されています。人口は10か国合わせて約6億5,000万人で、その数は増加の傾向にあります。また平均年齢も比較的若いので、消費市場としてもその魅力が高まってきています。(図1)

 

この5大特許庁とASEAN特許庁への、特許、意匠及び商標の出願件数およびその特徴を見ていきましょう。

 

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出典:外務省ホームページ

特許

特許は研究開発の成果ですから、先進国ほど特許出願件数が多い傾向にあると言うことができます。発展途上国の中でも、技術導入に熱心で工業化がある程度進んでいる国や工業化を目指して国として力を入れている国には、海外からの特許出願がそれなりに多くなされますが、国内企業の研究開発力はそれほど高くないので、自国からの特許出願件数は多くありません。工業化の進んでいない国は、特許出願がほとんどありません。


全世界の1年間の特許出願の総数は、2017年で約330万件となっています。国・地域別では、最も多いのが中国で約138万件、第2位が米国で約60万件、第3位が日本で約31万件、続いて韓国で約20万件、EPOで約17万件という順になっています。日本や中国は、自国からの特許出願の割合が85~90%であり、米国では、自国と海外からの特許出願件数はほぼ同数です。


一方、ASEAN各国の特許出願件数を見てみると、シンガポールが約1万件、インドネシアが約9,000件、タイ及びマレーシアが7,000~8,000件、ベトナムが約5,000 件、フィリピンが約3,000件となっています。これらの国々の自国からの特許出願件数の割合は、いずれも全体の10~20%しかありません。ASEANの後発国であるラオスやカンボジア、そしてブルネイは、特許出願がほとんどありません。ミャンマーは、特許法ができたばかりで特許庁がまだ設置されていないので、特許出願はゼロです。

意匠

意匠は工業デザインを保護するものであり、製品開発の成果です。技術開発成果を保護するものという点で、特許と共通しています。先進国ほど出願件数が多いという点では特許と似た傾向を示しますが、必ずしも特許と同様の傾向とは限りません。


意匠出願総件数は、約131万件です。最も多いのはやはり中国で約62万件、第2位が韓国約6万件となっています。米国は約4万件、および日本は約3万件です。この意匠出願の件数と特許の出願件数を比べてみると、韓国や欧州は、日本や米国と比較して意匠出願の割合が多くなっています。これは、国によってデザイン保護に対する意識の差が異なることが要因となっているのではないかと思われます。日本は最近、デザイン経営の重要性を強調し始めています。意匠出願件数が今後増えてくるのか、注目していきたいと思います。


ASEAN各国の意匠出願件数を見てみると、タイが最も多く約5,000件、続いてインドネシアが4,000件弱、シンガポールベトナムが3,000件弱、マレーシアフィリピンが2,000件弱という順になっています。これも、特許出願件数と比較すると順序が一致していませんが、いずれも日本と比べると特許出願に比べ意匠出願の割合が高くなっています。技術レベルの高くない製品を意匠で保護しようとしているのではないかと思われます。ラオス、カンボジア、ブルネイはわずか数十件程度です。ミャンマーは特許と同様、まだゼロです。

商標

商標に関していえば、商標は商品やサービスに識別力を持たせて品質を保証し、企業等のブランドイメージを高めるものですから、経済規模が大きいほど、商標出願件数が多くなる傾向にあります。商標出願の全世界の合計は1,000万件以上で、中国だけで約730万件あります。次いで米国が約45万件、日本が約19万件、韓国が約18万件、EUIPOが約14万件となっています。特許や意匠も同様ですが、中国の出願が他国に比べて異常に多いことが分かります。


ASEAN各国の商標出願件数を見てみると、インドネシアが約7万件、ベトナムが約5万件、マレーシアタイが約4万件、フィリピン約3万件、シンガポール約2万件と続きます。特許や意匠では、先進国とASEANの間には10倍以上の差がありましたが、商標については、それほど大きな格差はありません。


1989年のベルリンの壁崩壊を契機に、資本主義と社会主義の垣根が取り払われ、世界は一つのマーケットになりました。インターネットの普及により、情報は瞬時に世界中に広がっていきます。そして多くの製品が世界中で販売・消費されるのです。したがって多くの国で製品やサービス、そして企業イメージを守る必要性が高まってきています。それが、発展途上国でも商標出願が多数なされている理由です。

今後の展開

今や、サプライチェーンは、世界規模となっています。ある製品は、A国やB国で部品が作られ、C国で製品として組み立てられ、世界中の様々な国で販売、消費されているのです。このような状況の中で、知的財産権制度も、グローバル化してきています。元来、特許や意匠、商標と言った知的財産権は各国で独立して権利が発生しますが、今や、多数の国での権利化が必要となってきています。そのため、一つの国・地域で権利化された知的財産権を他の国・地域でも迅速かつ的確に権利化できるようにと、様々な条約が整備されつつあります。特にASEANでは、今後の出願件数の増加が見込まれており、各国特許庁では、審査官の大幅増員を進めています。


筆者が所属する発明推進協会は、特許庁の委託事業として、海外の発展途上国から知的財産関係の専門家を招聘して研修を提供していますが、ASEANからも毎年200名以上の研修生が来ています。その過半数は、各国特許庁の審査官です。(図2)

 

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出典:特許庁ホームページ

通訳・翻訳の際に留意したい点

ASEANから来日する研修生は、英語で研修を受講していますが、これらの研修生を見ていて分かったことは、彼らの現地語には、知的財産や先端技術に関する適切な用語がないのです。なので、その部分は英語をそのまま用語としています。以前英語と現地語の知的財産関係用語集の作成を行ったのですが、相当な数の用語が英語のままでした。しかし、出願が増加し、国民の知的財産マインドが高まってくるにつれ、徐々に現地語での用語が整備されてくると予想されます。つまり、知的財産の分野では、現地語は進化しているのです。

 

ASEAN国内で知的財産制度が更に整備されていけば、バイやマルチの国際交渉等の場での、現地語と英語、現地語と日本語等の通訳や翻訳の機会はますます増えてくるでしょう。進化する知的財産分野の現地語をキャッチアップし、このような機会を活かしていただきたいと思います。

 

*文中の数字は「特許庁年次報告書2019年版」「第4章主要国・地域・機関に関する統計」より抜粋

 


扇谷高男(おおぎやたかお)

一般社団法人発明推進協会 アジア太平洋工業所有権センター・センター長。特許庁特許管理企画官、特許審査企画官、京都大学客員教授、内閣府参事官、特許庁審査第三部首席審査長、工業所有権情報研修館人材開発統括監を経て、2010年4月より現職。
一般社団法人発明推進協会ウェブサイト:http://jiii.or.jp/

 

 

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