第2回 製薬分野における通訳【医薬通訳事始め】

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医薬業界と他の業界との違いや、医薬に関わる通訳業務の種類、必要な知識、業務に取り組むにあたっての心構え、勉強方法などについて、医薬業界における通訳の第一人者である重松加代子さんが4回にわたってお話しします。第2回は「製薬分野における通訳」です。

1.製薬分野における通訳とは

製薬分野における通訳に関しては、その形態、内容、通訳をする場所が複数存在します。製薬分野における会議の多くは企業からの依頼によるもので、社内または共同開発企業との会議、新薬の開発や既存の薬剤の適用追加などに関わる当局との相談、申請承認に向けての査察、薬の承認が終わってからの講演会などがあります。

 

製薬分野の業務の中で、企業主催の講演会の通訳も大きな部分を占めますが、ここで求められる知識は、前回の「医学分野における通訳」に関わるものと共通しますので、今回は割愛します。ただし、企業主催の講演会の場合にはその会社の製品が中心になるので、インターネットで医薬品の添付文書を含めて、講演会の対象となっている製品の情報を集めることが必須です。

 

利益相反などの観点から、スピーカーの医師は商品名ではなく一般名で製品を呼ぶことも多いので、両方とも日英正しく発音できるよう練習することをお勧めします。最近の生物製剤などは、tongue twisterのようにかなり発音しにくいものがありますから、なんども声に出して練習する必要があります。英語の名称に関してはアクセントをつけるとうまく発音できることが多いですが、抑揚の平板な日本での名称の場合、舌を噛みそうになったりしますから、練習にも練習が必要です。

2.社内会議の種類と内容

製薬会社の場合、特に通訳が入るものとしては、経営会議と開発会議があります。最近は製薬業界全体が、特定の国や地域において薬が入手できないドラッグラグを解消するために世界同時開発を進めており、その結果として会社組織のグローバル化が進み、各社は日米欧に開発や製造の拠点を置いています。その間の意思疎通に通訳が入る会議が増えています。

 

企業によっては社内通訳をおいているところもあります。 経営会議においては、会社全体の年間計画や中長期計画が話されることが多く、ここでの内容は開発以外の部分は他の業種とあまり変わらないかもしれません。一般的な経営や予算に関する用語を把握しておくことが求められます。この経営会議の延長線上には、機関投資家向けの報告会が含まれます。製薬会社の持つ製品が多岐にわたっており、薬の商品名は(他の分野の商品名も同じですが)国や地域によって異なっています。

 

商品名の読み方は、綴りだけで判断できないことがあるので、しっかり確認しておくことが必須です。会社側の発表資料にない製品に関して、参加している投資家が質問することもありますから準備しすぎることはありません。薬に関する情報はその企業のウェブサイトにも出ていますから、チェックしましょう。

 

開発の会議ですが、薬の開発においては、まず開発する物質の設計(創薬)、その後インビトロ試験により候補物質の選択をし、前臨床(または非臨床)試験を行います。治験届を当局に提出し受領されれば、臨床試験です。第1相試験第2相試験第3相試験と進みながら、薬の安全性と有効性を確認し、効果と安全性が確認された段階で当局への販売申請が行われます。創薬の段階では低分子(合成)医薬品であれば化学的な内容が、一方高分子(生物学的)医薬品であれば培養等の化学、生物学的内容が含まれます。

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かなり専門的内容が話されますが、通訳者自身が、薬学や生物学、医学の専攻でない限り、十分な知識を持っているとは言い切れません。しかし少なくとも、化学や生物学へのアレルギーを持ち合わせないことが重要です。そのためには常に化学的、生物学的知見にアンテナを張り、それに関する記事を見つけたら、ネットなどで調べることや、科学雑誌を購読することも重要です。専門用語は日本語の方が難しいことが多いので、私は『日経サイエンス』の定期購読をしています。科学誌から比較的一般的な内容を抜粋しており、製薬を専門とする通訳者には深さが足りないと指摘する向きもあるかもしれませんが、広く浅く、まず知識のネットワークを張る上では良いと思います。もちろん他のサイエンス誌でも良いでしょう。

 

社内での開発の会議の延長線上に、臨床試験実施にあたって、関わる病院の治験医師、臨床試験を支援するCRO(clinical research organization)やCRC (clinical research coordinator)の人達と会社側による治験会議や治験に伴う研修会(特にその治験で使われる検査や機器に関するものが多い)もあります。治験では治験実施計画書治験概要書などかなりの資料を読むことになりますので、準備を計画的に行う実行機能が通訳に求められるといっても過言ではないかもしれません。

 

日本製薬工業協会のウェブサイトに治験一般に関する資料や情報がありますから、ぜひ参考にしてください。厚生労働省のウェブサイトも参考になります。治験に関しては次にお話しする機構相談も含めて膨大な資料に目を通すことが大切で、当日の話の大半はその資料に記載されています。

3.機構相談の通訳業務

さて、先ほど開発にあたっては当局とのやりとりがあると言いましたが、医薬品や医療機器の開発のための治験に際し、被験者の安全を担保し、効果的に開発を進めるために各社は独立行政法人医薬品医療機器総合機構(以下機構)との話し合いを行います。 

 

準備資料としては上記同様、治験実施計画書や概要書を最初に読みます。機構相談の公式言語は日本語であり、海外からの参加者がいる場合、通訳が入ります。相談に使われる部屋によっては、生耳ウィスパリングと逐次通訳のこともあります。同時通訳ブースのある部屋で行われる場合、正式な対面助言については通訳者の訳出を含めて録音されます。

4.査察の通訳業務

医薬品の開発にあたり、研究所での開発に加え、治験薬や販売する医薬品が適正な管理のもとで作られていることをチェックするために、日本を含めその薬が開発・販売される国や地域の当局が査察を行い、GMP(Good Manufacturing Practice)に従って薬や治験薬が製造・管理されているかチェックされます。また治験を実施している施設(病院)に対する査察もあります。

 

私たち通訳者の側に査察に関する知識が求められるというよりは、裁判同様、査察官が情報を正しく把握できるようお手伝いをするのが通訳の仕事です、時には書類の山を査察官がチェックするのを気長に待ち、この部分に何が書いてあるか口頭での翻訳業務が発生することもあります。また工場での製造ラインの査察の場合、通訳も無菌室に入るので服を着替え、化粧を落とすことを求められ、トイレに行く度に無菌室に入る着替えや消毒が必要になりますので、特に女性の通訳者はそれを念頭に仕事を受ける必要があります。

5.業界会議

業界が主催する会議では、上記の査察とも関連したGMPに関する講演も多く、査察やGMPの知識が必要になります。ICHDIAなど様々な国内、国際業界団体の実施する会議もあります。これは各社単位での話を超えて、業界として医薬品開発や、販売承認取得後の医薬安全品担保のための安全性(Pharmacovigilance)に関する講演や討議が行われます。GMP関連の単語は一般の辞書では拾えないことがあるので専門の辞書が必要になりますが、これに関しては前述の日本製薬工業協会からGMP関連用語集が出ており、また株式会社じほうからも『GMP用語辞典』が出ていますので、これらの活用をお勧めします。

重松加代子
重松加代子(しげまつかよこ)

医学、薬学分野での通訳の第一人者。通訳歴は40年近くに及ぶ。圧倒的な知識と通訳スキルで、各種医学学会、セミナー、会議などの同時通訳者として活躍。また、県立広島大学にてコミュニケーション概論特別講義の講師も務めるなど、多方面にわたり精力的に活動。主な通訳実績は、数多くの機構相談をはじめ、慢性がん看護学会、日本精神神経薬理学会、日本胸部外科学会、日本薬学会、日本整形外科学会、アジア皮膚科学会、アジア慢性医療学会など。

【続きはこちらから】「医薬通訳事始め」第3回

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