治験文書の翻訳ポイントを知る【メディカル翻訳の基礎知識】

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専門性の高いメディカル翻訳に関する基礎知識や、サイマルのメディカル翻訳サービスについて紹介する全3回のシリーズ。第2回のテーマは「医薬」です。メディカル分野で翻訳者、チェッカー、ライターとして活躍中の甲斐美郷さんが、医薬分野の中でも需要が高い治験文書の翻訳についてお伝えします。

 

医薬翻訳と聞いてまず思い浮かぶのは、学術雑誌などに投稿される医学論文ではないでしょうか。翻訳会社の医薬部門の業務も大きく医学論文と治験関連文書や承認申請文書に分けられます。ここでは、主に治験関連文書についてお話させていただきますが、「治験」とはどういうものでしょうか?

治験文書とGCP省令

製薬企業での医薬品開発は、スクリーニング、基礎研究、非臨床試験、臨床試験(第I相~第III相の治験)を経て行われますが、最後に行われるヒトでの臨床試験が「治験」と呼ばれます。

製薬企業が開発品目の治験をはじめるにあたっては、まず治験薬概要書を作成し、各治験に対する治験実施計画書、同意説明文書、症例報告書等を作成します。翻訳会社が受注することの多い文書は、治験薬概要書、治験実施計画書の和訳だと思います。

治験実施計画書は治験デザインを説明する内容ですので、主に「医薬品の臨床試験の実施の基準(GCP省令)」に基づいて書かれています。治験薬概要書には開発の経緯や製剤特性、非臨床試験成績、その時点までの治験成績が含まれるため、GCP以外にも日本薬局方、GMP、GLPなども参照しながら訳出します。

これから治験翻訳を始めようと思っている方には、まずはGCP省令を日本語で読んでみて、登場人物ごとに役割を整理してみることをお勧めします。GCP省令の登場人物とは、治験依頼者(製薬企業)、治験実施医療機関、治験責任医師、治験審査委員会、治験薬管理者です。また、ICH-GCPをベースとして日本の医療体制に合う形にしたのがGCP省令ですので、記載内容は厳密には一致しません。

訳語を選ぶ際はGCP省令の語句を用いるようにしましょう。例えば、治験実施施設内で治験を担当する医師が複数名いる場合、ICH-GCPではprincipal investigatorを首席治験医師、subinvestigatorを治験補助医師としていますが、GCP省令で登場するのは、治験責任医師と治験分担医師であり、治験補助医師という語句は使われていません。

2019年にICH-GCPはE6(R2)へ改訂されたため、改訂後の内容も押さえておきたいところです。ICR臨床研究入門ICH E6 GCP Essential GCP Training v2という講座でR2の改訂点やICH-GCPとGCP省令の違いについても詳しくまとめられていますので、活用されるのも良いと思います。

GCP省令の内容が理解できたら、「治験の総括報告書の構成と内容に関するガイドライン」を読み、治験が終わった後の報告書の必要事項を確認しておきましょう。余裕ができたら、PMDAのサイトで他のICHガイドラインにも目を通したり、ICR臨床研究入門で抗がん剤の臨床試験や統計解析について学ぶのも良い勉強になります。 

治験文書でよく見る間違い

有害事象と副作用

治験文書の翻訳で一番注意しなければならないのは、有害事象(adverse event)と副作用(adverse drug reaction)の訳し分けです。ICH-GCPの用語定義にもある通り、有害事象とは、医薬品(治験薬を含む)を投与された患者または被験者に生じたあらゆる好ましくない医療上のできごとであり、副作用とは、有害事象のうち治験薬との因果関係を否定できない反応と定義されます。

因果関係の判定は治験責任医師が行いますが、製薬企業としてはできるだけ副作用の少ない安全性の高い医薬品を開発したい、つまり有害事象はあっても副作用は減らしたいわけですから、ここでの翻訳ミスはあってはならないものです。また、ひとりの患者さんが複数の有害事象を発現する場合も多いので、例数と件数を正確に訳すことにも注意が必要です。

治験薬管理

治験薬管理者は、治験期間中は治験薬管理表に治験薬の使用状況を記録し、治験終了後は未使用治験薬を治験依頼者に返却して治験薬数の収支を一致させなければなりません。このように役割を整理してゆき、治験終了後の手順に関する文章にaccountabilityがでてきた場合、どのように訳されますか? この内容が理解できていれば、investigational product(s) accountabilityという語句に出会ったときには「治験薬の説明責任」ではなく「治験薬管理」と訳出できると思います。

薬剤名の英語、カタカナ表記

グレープフルーツと飲み合わせてはいけない薬があるのはご存じかと思いますが、グレープフルーツ以外にも薬物代謝酵素を誘導したり阻害する可能性のある薬が、他の薬の作用を強弱させることを薬物相互作用と呼びます。また、心電図所見の心室再分極を遅延させる(QT間隔の延長)薬剤もあり、治験薬にも併用に注意する薬が存在します。

治験実施計画書の別添として、併用注意薬を一覧表にまとめることが多いのですが、その場合の薬剤名(一般名)の表記は、日本で承認されている薬はカタカナで、未承認薬は英文で表記します。PMDAのウェブサイトで検索できますので、調査して承認状況を確認して訳し分けることが重要です。

最後に

翻訳会社に依頼される治験文書の大半は、国際共同治験による開発品です。治験文書の英文は簡潔で分かりやすい英語で書かれているため機械翻訳が入りやすい分野ともいえますが、英語力以上に重要なのは調査力です。英文構造が複雑になればなるほど、書き手の意図をくみ取るための背景知識や調査力が重要になってきます。製薬企業の大半は機械翻訳を導入しているようですが、そのような状況で機械翻訳を読みやすくした程度の文章では今後の依頼はなくなるでしょう。

治験の一連の流れを理解した上で疑問点を隅々まで調査して、モニターから治験の説明を受ける治験責任医師になったつもりでご自分の訳文を読み返してから納品するようにしましょう。翻訳中に疑問に思ったこと、定訳の調査で苦労した点などは、記録しておいて後日の業務に役立てましょう。 

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甲斐 美郷(かい みさと)

外資系製薬会社の品質保証部・臨床開発部、豪州の大学院でのMaster of Medical Statistics課程(オンライン)を経て、育児の傍らフリーランスのメディカル翻訳者・チェッカー、メディカルライターに。サイマルとは2017年にインハウスのチェッカーとなった時からのお付き合いです。

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