ほらね、大丈夫だったね。【1年目の私へ】

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現在活躍している通訳者翻訳者の方々が「プロデビュー1年目」を振り返り、その頃の自分へ、手紙のようにしたためる「1年目の私へ」。第2回は通訳者サイマル・アカデミーの講師も務める井戸惠美子さんが登場します。デビューしたての自分へ、どのような言葉を贈るのでしょうか。

サイマル・アカデミーを修了して

いつをもってプロデビューと言うかは人それぞれだろうけれど、私の場合は、サイマル・アカデミー(以下、アカデミー)を修了して、最初の1、2年あたりがちょうどその転換期だったのだろうと思う。

そもそも、サイマル・アカデミーの通訳者養成コースを修了する段階で、その後どうすべきか、決めかねていた。人に聞かれる度「通訳者になりたい」と言っていたくせに、その後どういう手順を踏むべきか頭に入っていなかった。調査不足と言われればその通り。当時勤めていた会社では、営業アシスタント職だったが、時折通訳や翻訳もしていた。この会社を続けるべきか、通訳者転向か。結局、コース修了時に、この先どうするかサイマル・インターナショナル(以下、サイマル)と面談するチャンスをもらったにもかかわらず、選んだのが会社員を続けることだった。ところが、コース修了して1年もたたぬうちに、会社の方針が変更。会社員を続けることにやっぱり迷いを感じていた私は、さっさと退職してしまった。

でも、どうしよう。私、大丈夫なのかな。

その時思い出したのが、サイマルで面談した際、「専属通訳者の候補に名前を入れておく」と言われたこと。そういうものが存在したのか、どういう意味だったのかは今となっては、確認のしようがない。でも、あわよくばサイマルに専属採用してもらえないかしらとサイマルにかけあってみたが、世の中そんなに甘くない。選考にあっさり落ちてしまった。

さて、困った。私、大丈夫なのかな。

今思えば、当たり前の結果である。自分の見通しの甘さがいけなかったのだが、とにかく、会社も辞めていた私としては、お先真っ暗だった。サイマルとはフリー通訳者の契約は交わせても、それまで会社員をしていた私をいきなり現場に送ってもらえるかなんてわからない。すぐ、別のエージェントとも契約した。

ただ、当時、2つ幸運が続いた。1つは、この別エージェントに、ビギナー可の案件が、たまたま舞い込んでいたということ。なんと面接の場で、最初のアサインメントをいただくことが出来た。そしてもう1つありがたかったのが、それより少し前からも、アカデミーからティーチングの仕事がもらえたことだった。たまたま講師に欠員が生じていたからだが、アカデミーがそこで私に連絡をしたのも、本当にたまたまのことだったらしい。よくまあ、経験皆無の私を迎え入れてくれたものである。でも、そんな経緯があるので、壁にぶつかった私を拾ってくれたアカデミーと、このエージェントには今でも頭が上がらない。

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当時、自主練習に使っていたテーププレーヤーと手帳。今ではスケジュール管理もオンライン上でとなりました。

デビューはしたけれど

とにもかくにも、これでデビューを果たすことができた。最初のクライアントは素晴らしい方々で、他の会社さんにも私を勧めてくれて、順調に案件数は伸びていった。でも、この時、年は2001年。この9月に米国で同時多発テロが起きた。飛行機が狙われるような事件が起きてしまい、当然ながら誰も来日せず、日本からの出張案件もなくなった。手帳に書いていた案件がすべてキャンセルとなったまま、新規案件も入らなくなるのを、初めて経験した。

どうしたらいいんだろう。私、大丈夫――じゃない!

この時のショックと悲壮感は、相当なものだった。
来る日も来る日も、何も仕事がない。どこで間違えたのかなと考えても、答えが出てこない。通訳者になったことは失敗で、私のキャリアは早くも終わるのかなと悲しかった。

あの時の私にこう言ってあげたい。「心配ないよ、自分を信じて大丈夫だよ」と。
次のチャンスは訪れるから、それまで単語整理とか、ニュースをチェックするとか、出来ることを続けていけば、かならずまた次開けるからと。もっと忙しくなるからと。
自分に通訳を依頼してくれるクライアントに、これからも感謝しながら続けていこうね、と。

実際、同時多発テロの数か月後、仕事は戻ってきた。直後にSARSの感染拡大があった時も、通訳依頼は一時冷え込んだ後、また回復した。東日本大震災の時も、本当に各方面心配だったけれど、通訳依頼はしばらく途絶えたあと、また回復した。回復する都度つど、案件の数は増えていった。毎回、何かあるたびに、手帳は真っ白になる。でも、その後、真っ黒になる日が戻り、「ほらね、大丈夫だったね」と言える日が来ることを、ぜひあの時の私に伝えてあげたい。

そして、さすがにあの当時の私に教えてあげたいとは思わないけれど、2020年はさらに大変な年となる。真っ白の手帳をまた見ることになる。でも、あの1年目の経験があったからこそ、そしてそれ以後の経験があるからこそ、今回も乗り越えられる。

ほらね、大丈夫だったね」と、あともう少し待てば、みんなで言えるはずだから。

 

井戸恵美子さん
井戸惠美子(いどえみこ)

青山学院大学在学中より、サイマル・アカデミーに学ぶ。大学卒業後、一般企業勤務を経て、社内通訳業務に従事。現在、フリーランスの通訳者として、政府・企業関係の会議やセミナーを中心に通訳を行うほか、サイマル・アカデミ―で講師を務めている。また、担当するインターネット講座「通訳者が教える英語力アップ講座」は人気講座のひとつ。

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