第3回 ファイナンスとマクロ経済【IR通訳・翻訳のためのファイナンス入門】

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専門知識が求められるIR分野の通訳・翻訳。何をどこまで学べばよいのでしょうか。この連載ではIR通訳者翻訳者として活躍する住本時久さんが、IRにおける投資家と事業会社の視点を主眼に、通訳・翻訳両方で役立つ知識をお話しします。今回のテーマは「ファイナンスとマクロ経済」です。

 

2020年初頭から始まった新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)は、経済活動に甚大なダメージを与え、春には株式市場の暴落をもたらしました。想定外の状況を前に、ほぼすべての銘柄に売り注文が殺到しました。「コロナショック」とも呼ばれるこの市場のクラッシュの引き金となったのは、必ずしも個別企業の業績の良し悪しではなく、パンデミックが経済全体に与える影響、すなわちマクロ要因でした。さすがにコロナショックを予見した投資家は少なかったと思われますが、投資の検討には、個別企業の業績はもちろんのこと、市場全体に影響を与えるマクロ要因の分析も不可欠です。そこで今回は、その「マクロ要因」に焦点を当ててお話しします。

マクロ要因には、米中冷戦・ブレグジット・中東情勢などに代表される国際・地政学的要素、アメリカの大統領選や各国の政情・社会情勢などの政治・社会・政策的要素、世界各国の景気・経済成長・経済政策といった経済的要素が含まれます。

このうち投資判断に最も直接的かつ継続的に影響を与えるのはマクロ経済の動きでしょう。特に株式や債券といった異なった種類の投資対象――「アセット・クラス (asset classes)」と呼ばれます――への資産配分 (asset allocation)を検討する上で、マクロ経済の分析は非常に重要です。さらに、各業種や個別企業の事業活動に対する影響も勘案しなければなりません。

マクロ経済の動き

マクロ経済の動きには、主に国内総生産(GDP)の伸びで表される「経済成長 (economic growth)」、しばしば「景気循環 (economic cycle) 」と表現される景気の変動、国家間の製品・サービスの取引すなわち「国際貿易 (international trade)」、資本取引等の「国際金融取引(international financial transactions)」、物価の上昇を表す「インフレーション (inflation)」、「金融政策」「財政政策」(monetary and fiscal policy)という中央銀行や政府による政策の変更や継続が含まれます。

経済成長を表す代表的な指標であるGDPは、国家間の経済規模の比較にも使われますが、それぞれの国に住む人の経済的豊かさを比較するには、人口の大小という要素を取り除いた「一人当たりGDP」が参照されます。「一人当たりGDP」は、GDPを当該国の人口で除することで求められます。

ちなみに、国際通貨基金 (IMF) のランキングによると、直近(2020年)の日本の一人当たりGDPは、世界22位です。アジアトップのシンガポールには大きく水を開けられ、香港の後塵をも拝する位置です。いわゆる「バブル世代」の筆者は、社会人になり立ての頃に日本が一人当たりGDPで世界トップクラスになった時代を直接経験しました。今のランキングには、愕然とするというのが正直な感想です。

景気循環

GDPに代表される国の経済・景気の変動を「景気循環 (economic cycle) 」と呼ぶことがあります。「循環 (cycle)」とはいっても、景気が法則的に変動にするわけではなく、また変化の各局面がいつまで続くかも予測しきれるものではありません。また、循環の見方も多様で、「景気の拡張(拡大期)(expansion)」→「景気の山 (peak)」→「景気の後退期 (contraction)」→「景気の谷 (trough)」→「景気の回復期 (recovery)」といった見方もあります。

景気が後退し、低迷が長く続くと、「不況 (recession)」と呼ばれます。では、「不況」に定義はあるのでしょうか。実は、国や経済学者によってさまざまなのです。例えば欧米でよく使われる定義は、「経済成長(GDP成長率)が2四半期連続して前年同期比マイナスになる」ことです。一方、日本でははっきりした定義がありません。企業による業況判断など様々な経済指標が参照されるにとどまります。

それでは、なぜ景気は「循環」するのでしょうか。そこには、GDPを構成する要素が関係しています。

まずGDPとは、一定期間(1年など)において国内で生産される製品やサービスの価値の合計を、市場価格をもとに算出したものです。もう少し正確にいうと「最終生産物」の市場価格の合計で、生産の途中で他の製品の一部となる材料や部品(「中間生産物」)は除外されます。例えば、完成車に組み込むために生産されるエンジン、あるいはツナ缶用に食品会社に引き取られるマグロは、計算から除かれます。そうしないとダブルカウントになってしまうからです。この例では「完成車」と「ツナ缶」が最終生産物になります。同じマグロでも、鮮魚としてスーパーマーケット等で消費者に販売される場合は、最終生産物としてGDPに含まれるというわけです。但し、企業が製品生産のために使う設備や機械――例えば自動車工場で働く生産ロボット――は、それらが他の最終生産物の一部になるわけではありませんから、最終生産物として扱われます。

このようにGDPは、最終生産物の価値の合計を表しますが、市場価格で計算するため、支出面からも算出が可能です。すなわちGDPは、支出する主体別に、消費者の支出、企業の設備投資支出、政府の支出(「歳出」といいます)、国内生産物に対する海外からの支出(=輸出)の合計として計算できます。但し、ここから輸入を差し引く必要があります。輸入品は、国内で生産されたものではないからです。したがって、GDPの計算に含めるのは、輸出から輸入を引いた「純輸出」となります。

景気が「循環」するのは、これらの要素が相互に影響し合うためです。例えば、所得が増えて経済の先行きに自信をもつと、人は消費を増やしたり、住宅を購入したり、株式に投資したりします。経済全体において消費や投資が拡大すると、企業は需要拡大のチャンスを捉えるため、あるいは競合他社にシェアを奪われないように、生産拡大に向けて生産設備を増強します。投資意欲の高まりを背景に資金調達がしやすくなることも、設備投資の増加に寄与します。また、不動産価格や株価の上昇により、保有資産価値の上昇を感じる人が更に消費を拡大し、経済は一層拡大していきます。これが、「景気の拡張期」です。「景気の山」に向かう局面です。

しかし、やがて不動産価格の高騰により、住宅を購入できない層が拡大するでしょう。株価が高すぎることを懸念する人も増えます。そうすると、需給の緩みから不動産価格や株価が下落します。資産価値の低下は、人々の消費意欲・投資意欲の減退に繋がります。企業は設備投資を減少させます。需要が低下し、資金調達も難しくなるためです。これが「景気の減退期」です。「景気の谷」に向かう局面です。

この景気の谷から経済を回復させようと、政府や中央銀行(central bank)は景気刺激策を講じます。政府が講じる策を「財政政策 (fiscal policy)」、中央銀行が講じる策を「金融政策 (monetary policy)」といいます。

このうち財政政策には主に2つの手段があります。 ひとつめは公共事業で、政府が直接的に資金を拠出することで雇用拡大・所得増加を図るものです。もうひとつは減税で、所得税や法人税等を減らすことにより個人や企業の消費・投資拡大を促すものです。

次に、金融政策の主たる手段は「公開市場操作 (open market operations)」と呼ばれるものです。これは、中央銀行と一般銀行との間で国債の売買を行うことで、市中に流通する通貨の量「マネーサプライ(money supply)」や「金利」を調整するものです。景気を刺激するためには、一般銀行が保有する国債を中央銀行が買い取ることで、マネーサプライを増加させます。これを「買いオペ (buying operation)」といいます。手元に通貨の増えた一般銀行は、金利を引き下げても貸し出しを増やそうとするため、金利が低下します。企業にとっては、資金調達コストが低下するので、設備投資等の増加に繋がります。雇用を増やす企業もあるでしょう。住宅ローンの金利も下がることから、住宅を購入する人が増えます。経済の先行きが明るくなると、消費も増えます。こうして「景気の回復期」が始まるのです。

このように、GDPを構成する要素が同じ方向に向かって相互に影響し合うことで、景気循環が生まれます。それを経済学では「乗数効果 (multiplier effect)」と呼びます。上の記述からも読み取れるように、景気循環の乗数効果には、消費者や企業の心理的影響も大きいと考えられています。

 

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インフレーションと投資

超長期デフレーション(deflation)を経験してきた日本人にとって、インフレーション は、文字通りどこか遠くの国の出来事のように感じるかもしれません。しかし、経済成長を実現する一方でいかにインフレーションを制御するかという課題は、マクロ経済学にとって最大のテーマのひとつです。

インフレーションは、 一言でいえば物価の上昇です。消費者物価指数(consumer price index: CPI)の上昇率等を使って測定されます。ここでは、インフレーションが投資に与える影響を見ておきましょう。

インフレーション懸念が強まると、一般的に中央銀行は、「売りオペ (selling operation)」(前述の「買いオペ」の逆)を行うことで、マネーサプライを減らし、金利を上昇させることで、過熱した経済を冷まそうとします。したがって、インフレーションはたいてい金利上昇に繋がります。

市場の金利が上昇すると、国債に代表される「確定利付証券 (fixed-income securities)」(一定期日に一定額の利子を支払うことをあらかじめ約束した有価証券)の価格が下がります。より高い金利での貸付や、より高い利子を支払う債券への投資ができるからです。したがって、インフレーションは、債券価格にはマイナスに作用するわけです。一方、株式については、投資先企業が物価上昇の恩恵を受けられる場合、インフレーションがプラスに作用することもあります。冒頭に述べたアセット・アロケーションにおいて、マクロ経済分析が重視されるのは、例えばこうした影響があるからです。

国際金融市場

国境を越えて投資や貸付が行われる金融市場は、極めてグローバルな性質をもっています。金融取引はモノの取引を伴わず、情報と通信を基礎として成り立つことから、貿易取引よりもグローバル化が進展しやすいのです。グローバル化の度合いの高さから、国際的金融統合 (international financial integration) という概念も存在するほどです。そのため、2008年のリーマンショック(Lehman Brothers Crisis)に典型的にみられたように、世界のどこかで起きる危機は、あっという間に世界中に伝搬します。

各国政府や政府間金融機関は、一般金融機関と協働しながら、グローバル金融市場の健全性を保ち、危機に協調して対処するために、G20等の枠組みを通じて政策や規制を協議・調整しています。

投資家は、こうした金融市場のグローバルな性質を知悉していますから、他国で起きる事件も対岸の火事と考えることはなく、投資におけるリスクのひとつとして常に念頭に置き、リスクが顕在化した際には即座に対応する態勢をとっています。

結び

今回は、投資判断においても重要な役割を果たすマクロ経済を中心として、マクロ要因に焦点を当ててきました。しかし言うまでもなく、マクロ要因だけで経済が成長するわけでは決してありません。経済成長を実現するためには、企業がイノベーションを起こし、競争力を磨き、グローバルに事業を発展させていくことが不可欠です。IR通訳・翻訳は、そのお手伝いができる仕事といえるでしょう。

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住本時久(すみもとときひさ)

米国コロンビア大学国際公共政策大学院卒業、修士号MIA取得。国内最大手証券会社、米系機関投資家・資産運用会社(東京・シンガポール)、上場企業CEO等を経て、フリーランス通訳・翻訳者。IRをはじめ金融、経営、政府・官公庁、学術など高い専門性を要する諸分野をカバー。通訳・翻訳者転身後、博士号取得。現在、大学の非常勤講師も務める。

【IR通訳・翻訳のためのファイナンス入門】第2回

 

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