第4回 ゴルディロックスの教え【「訳し下ろし」の同時通訳術】

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本連載では、現役の会議通訳者・池内尚郎さんが同時通訳の実践的技法を紹介していきます。ご自身が、日々の実践を通じて気付いたことを、通訳者の方や通訳者を目指す方々に向けて「実践則」としてまとめたコラムです。第4回は「ゴルディロックスの教え」です。

『ゴルディロックスと3匹のくま』(Goldilocks and the Three Bears)という童話がある。ゴルディロックスという少女が森の中で家を見つけ中に入ってみると、お粥が3つあり、1つ目が「熱すぎ」、2つ目が「冷たすぎ」、3つ目が「ちょうどいい」熱さで、少女は3つ目の粥を全部食べてしまう。椅子も3つあり、「大きすぎる」のと「小さすぎる」のと、「ちょうどいい」大きさのもの。少女は3つ目の椅子に座る。寝室にも3つのベッド。「硬すぎる」のと、「柔らかすぎる」のと、「ちょうどいい」硬さのもの。少女は3つ目のベッドに入り、ウトウトしてしまう。そこに3匹のクマの家族が戻ってきて、少女は大慌て。家から勢いよく逃げ出すというストーリーだ。

 

実は、この童話に出てくる少女の名前は、「ちょうどいい」ものの比喩として、いろいろな場面でよく使われる。経済用語では、「ゴルディロックス相場」というものがある。景気が過熱も冷え込みもしない適度な状態にあることをいう。天文学でも使われる。宇宙において、地球と太陽の関係のように、恒星からの距離が惑星において生命を育むのに「ちょうどいい」範囲にあるとき、それを「ゴルディロックス・ゾーン(GZ)」と呼ぶ。これは、水が液体として存在することができる環境を指す。

 

同時通訳にも、このGZがあるのではないか。それが今回のテーマだ。下の図を見てほしい。なお、この図はなんらかの調査データをベースにしたものでなく、私個人の経験則を基本にした概念図であることを、あらかじめお断りしておく。

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分かりやすさ/情報量 vs. EVS

縦軸に「分かりやすさ」(intelligibility)と「情報量」(information)、横軸に「通訳者が話者の発声を聞いてから訳し出すまでの時間」(EVS=Ear Voice Spanと呼ばれる)を置く。そうすると、次のような相関関係が成立することが分かる。通訳アウトプットの分かりやすさは、通訳者の発話までの時間(EVS)と正比例の関係に、情報量はEVSと反比例の関係にある。つまり、一般的に通訳者は訳出を始めるまでスピーカーの言葉を聞いている時間が長いほど整理された訳を出すことができるが、同時に訳出の過程で情報を落とす可能性が高くなる。

 

同時に、もう一つ重要な事実は、「分かりやすさ」と「情報量」の変化は、経時的に直線的に起こるのではないという点である。たとえば、「分かりやすさ」は「最小の意味単位」(minimum unit of meaning)まで待って訳出を始める段階から急激に上昇し、その後はある段階からそれ以上訳出を待っても、「分かりやすさ」に大きな上昇は見られなくなる。同様に、「情報量」はある段階を超えると急速に訳出できる情報量が減っていく。

 

これらの事実から導き出される結論は、一番望ましい同時通訳方法とは「最小の意味単位」まで待つこと、可能であれば意味の単位の範囲を通訳者の能力が許す範囲の限界まで広げること、ただし情報喪失を起こしてしまう限界を超えてまで待たないということである。そして、そのような限界の内側をゴルディロックス・ゾーン(GZ)と呼ぶ。

 

ここまで、「最小の意味単位」という言葉を何度か繰り返してきた。では、これは具体的にどのようなものをいうのか。同時通訳の草分けの一人である小松達也氏は、次のように述べている。

「意味の単位」は具体的な文法的単位や数量的単位では表現できず、「直感的な単位」、「通訳者の『勘』のようなもの」である。

実は、この表現は通訳者の皮膚感覚に近い。ただこれでは、同時通訳初心者にはピンとこないだろう。そこで、ある種の相場観を提示したい。言わば、同時通訳における「最小の意味単位」のrule of thumb、経験則的な定義だ。

最小の意味単位=主語+述語

同時通訳における「最小の意味単位」とは、主語と述語で構成された最小の単位だと思う。染谷泰正・関西大学元教授の言葉を借りれば、「何が/誰が、どうだ/どうした」という最小限の文要素を備えたものだ。"I have a book."のように完全に独立した一文が主語と述語の一単位であるのは明らかだが、文中の一部分であっても意味的に主語と述語の単位と解釈できるものもある。たとえば、次のような文章の場合。

 "I think living in Japan is obviously very different from living in Australia."注1

この一文の中で、素直に見れば一つの最小の意味単位は、"living in Japan is obviously very different"になる。実際の同時通訳では、ここまで聞いた段階で訳出を始める。「日本に住むと言うことは明らかに…」というところまで来れば、"from living in Australia"が聞こえてくるので、「オーストラリアに住むとは違う」と繋いでいく。そして、最後に冒頭の訳し残しておいた"I think"を付けくわえる。

 

このように「最小の意味単位」ごとに訳出し、積木を重ねるように訳を繋いでいき、必要に応じて「積木」の間に接続詞など必要な言葉を補っていくことができれば、スピーカーから比較的に遅れることなく、また言葉の繰り返しを極力抑えながら、簡潔な表現で訳出していくことができるようになる。これが「訳し下ろしの同時通訳術」の極意だ。

 

さらに実践論的に言えば、通訳者が訳出を開始する最小の単位は、いま説明した「最小の意味単位」にするのが基本だが、場合によってはさらに小さな単位に分割して訳し出しすることも可能だ。先ほどの例文をとれば、"living in Japan is"まで聞けば、これが主語で次に述語が来ることは想定される。そうすると、その段階で訳出を始めることができる。ただ、主語を訳した後に予想外の展開が起きることもある。そのとき、通訳者は苦境に陥る。先読みをしながらの通訳は、リスクと隣り合わせであることを覚悟しなければならない。

 

もう一つの実践的ヒントは、同時通訳は動的だと理解し、それに対処することである。つまり、「最小の意味単位」ごとに訳していくが、訳している最中に入ってくる情報を取捨選択しながら、必要な情報を訳文に挿入していくことだ。先の例文の中の"from living in Australia"の部分がこれに当たる。

 

さらにもう一つの実践的ヒント。「訳し捨て」を積極的に活用することだ。たとえば、副詞句や定型句など、それもとくに文頭に来るもの。needless to sayやaccording to……などはこれに当たる。同時通訳は短期記憶の負荷が著しく高い。瞬間的記憶量を最小限に抑えるために、訳し捨てられるものはドンドン訳し捨てていかなければならない。

 

ところで、先の例文にある"I think"は「私の考えでは」と訳し捨てることができる。英文上は副詞句ではないが、和文で副詞句的に処理することは可能だからだ。ただ、禁じ手とは言わないが、これは多用は禁物だろう。いかにも「同時通訳臭さ」が鼻についてしまう。

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GZの幅は可変的

では、次にこの方法を応用すると、どのようになるか。例文を見ながら解説してみたい。

 "I think in each of the three countries, the United States, Japan and South Korea, creating political support and sustaining political supportfor a comprehensive approach to North Koreawill be a major challenge for political leaders."注2

①は「訳し捨て」の部分。副詞句で、その後の文章展開と無関係に訳すことができる。

②と③は「意味の最小単位」

④は②と③を訳している途中に挿入されるべき「付加部分」

⑤はまた「意味の最小単位」

 

このように分割した上で同時通訳してみると、まず聞こえてくる"I think"はthatが続くので訳せない。ホールドしておくことになる。

 

次の①は訳し捨てられるので、「三か国それぞれ、米国、日本、韓国において」と訳す。

 

続く②は、その後にandが続くので、「政治的支持をつくり出し」と文章を終わらせないままにして、③に繋いでいく——「政治的支持を維持し……」

 

この辺りで、④が聞こえてくるので、進行中の文章に④を組み込んでいく。すると、こんな文章になる。

「政治的支持をつくり出し、政治的支持を維持しながら北朝鮮に対して包括的なアプローチをとる……」

 

ここまで訳した段階で⑤がやってくるので、「…ことは、政治リーダーにとっては大きな課題である」と訳して、最後にホールドしてあった"I think"の部分を付け加える。すると、こんな訳になる。

「三か国それぞれ、米国、日本、韓国において、政治的支持をつくり出し、政治的支持を維持しながら北朝鮮に対して包括的なアプローチをとることは、政治リーダーにとっては大きな課題であると思う」

ゴルディロックス・ゾーンに収まった訳は上記のようになる。さらに言えば、「意味の単位」を増やして訳出すれば、もっとこなれた訳ができる。

 

たとえば"creating political support and sustaining political support for a comprehensive approach to North Korea"まで待って訳出すれば、「北朝鮮に対して包括的なアプローチをとることに政治的支持をつくり出し維持していくことは」という訳が可能となる。

 

このようにGZは一定の幅を持つ。そして、この幅は、実は通訳者の技量や、話者のスピード、話の内容(たとえば、テクニカルである、数字が多い)によって伸縮するのである。だから、GZの幅を可能な限り広げていくことが、通訳者修行の目標となる。

 

最後に、「ゴルディロックスの教え」をまとめておく。

  1. 「意味の最小単位」(主語+述語)ごとに訳していくことを基本とする。
  2. 「意味の最小単位」が終わるまで待たなくてもいい場合がある。たとえば、主語部分が明確になって、言い直しをしなくても続けていく自信がある場合。
  3. 訳し始めた後、耳に入ってくる情報を取捨選択して、進行中の文章に必要な情報を取り込んでいく。
  4. 不自然な訳文にならない限り、訳し捨てられる言葉は、躊躇なく訳し捨てていく。
  5. 「意味の単位」を広げていけばいくほど、こなれた訳出ができるようになる。一方で、情報がこぼれ落ちるリスクも高まることを覚悟せよ。

(注1)『通訳の技術』P105-106(小松達也著・研究社・2005年)の中で紹介されている例文

(注2)Mike Mochizuki氏による経団連でのスピーチ "US-Japan Relations in an Era of Security Uncertainty"(99年10月21日)内の一文

 

池内尚郎(いけうちひさお)

サイマル・インターナショナル専属通訳者。上智大学外国語学部ロシア語学科で学ぶ。国際交流や国際政策に関わる仕事の後、サイマル・アカデミーで学び通訳者に。政治・経済・文化・科学技術など幅広い分野で活躍。同校通訳者養成コース会議通訳クラスで後進の指導にあたる。

 

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