海外IR――資本市場の最前線を楽しむ――<最終回>

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IRにおける通訳は、ビジネス通訳の中でも大変需要の多い分野である一方、業界知識から財務、会計等に関する専門知識が求められます。このコラムでは、海外IRの通訳経験が豊富な丹埜段さんが、海外IRの概要、必要な準備、また、通訳者の役割などについて3回に渡りお話しします。

海外IRの魅力

海外IRにおける通訳は、なぜ魅力的なのか。その魅力はたくさんありますが、いくつかご紹介します。

◆難しくない

大企業の社長と一緒に外国人投資家を回る海外IR。おもしろそう、と感じてくださる方もいるかもしれませんが、一方で「難しそう」「自分にできるだろうか」と不安に思う方もいるかもしれません。特に、ディール・ロードショーのような責任重大な場であれば。しかし、そのような心配は無用です。

 

連載の冒頭で、通訳が必要となるIRにはいくつかの形態がある、と書きました。

  1. 電話会議
  2. 投資家同行
  3. カンファレンス
  4. 海外IR

この並びは、実は(私が思うところの)難しさ順でもあります。
IR通訳で、一番難しいのは電話会議です。顔が見えない中、たった1時間の一発勝負で自分を証明しないといけない。海外IRであれば、1週間で「徐々に慣れていく」ことができますが、電話会議ではこれができません。予習を徹底した上で、本番の1時間で大急ぎでOJT的に情報を吸収し、訳をブラッシュアップしていく必要があります。

 

2番目の投資家同行は、外国人投資家と一緒に都内、そして日本国内を回る仕事です。海外IR同様、1日数件のミーティングを行うのが一般的です。電話会議と比べると、「Face to faceのミーティングである」「同じ投資家と、丸一日あるいは複数日回るので、投資家の質問の傾向がだんだん分かってくる」という面でやりやすいのが特徴です。一方で、例えば1週間に渡る投資家同行の場合、最大で5日 × 5社/日 = 25社分の予習が必要になる、という面で大変です。

 

さて、カンファレンスや海外IRの場合、ある企業に付いて通訳を行う、というのが大きな特徴です。その会社のIRミーティングを1日に何度も行います。カンファレンスの場合、そのカンファレンスが数日間に渡るものだったとして、その内の何日はA社付き、残りの日程はB社付き、といったこともあります。しかし海外IRの場合、当然のことながら、通訳者は同じ会社に一週間ずっと張りつくことになります。私が「海外IRは難しくない」という理由はここにあります。

 

まず予習ですが、複数社について予習しないといけない投資家同行の場合と違い、海外IRの場合は1社について徹底的に行えばいい、という特徴があります。

 

そして、通訳については、月曜日の朝一のミーティングでは多少苦戦するかもしれませんが、その後2件目、3件目、そして翌日以降とミーティングを重ねていく内に、どんどん慣れていきます。また、ミーティングの合間の移動時間や食事の時間に、「社長、さきほどおっしゃっていた○○というのはどういうことなんですか?」と質問・確認ができます。(そうやっていろいろ聞くことで、その会社に興味がある、熱意がある、ということのアピールにもなります。)

 

ですから、海外IRは「難しくない」と言ってしまうと語弊がありますが、一発勝負の電話会議や、たくさんの会社を次々に回る投資家同行と比べると、相対的な難易度が低いといえば低い、というのは間違いありません。

◆プレゼンを「作り込んでいく」楽しさ

社長をはじめとするご一行は、ある意味手探りでプレゼンを準備し、実施しています。外国人投資家にどの程度刺さっているのか、理解してもらえているのか不安に思っています。ここで通訳者が付加価値を発揮する余地が生まれます。


社長の話がよく分からなければ、ミーティングの本番中に、あるいはその後の移動・食事の時間に確認する。プレゼン資料のあるページの説明がうまく投資家に伝わっていない、と感じたら、「もっとこう説明するといいと思います」と提案する。もちろんTPOをわきまえる必要がありますが、多くの場合、通訳者によるこのような動きは喜ばれます。社長らと一緒にプレゼンを「作り込んでいく」、こうした楽しさが海外IRにはあるのです。

◆リピートになりやすい

1週間かけて海外を一緒に周れば、良くも悪くも、我々通訳者のすべてが企業(そして同行する証券会社)に丸わかりになってしまいます。どのような通訳をするのか、どんな人柄なのか、食事の時にどのような話をするのかしないのか。


これらをすべて知られた上でリピートの依頼が来る、ということは、ある程度気に入っていただけた証拠だと思っていいと思います。もちろん、リピートが来ないことも多々ありますが……。


企業からすると、高いコストをかけ、わざわざ社長が出向いてIRをするわけですから、ディールであればもちろん、そうでなくても「失敗は許されない」といった気持ちがあります。だからこそ、一度一緒に周り、そのときのIRがうまく行き、社長も気に入ったという通訳者がいれば、なるべくその人に毎年お願いしたい、ということになります。

業務に向けた準備

海外IRの案件が決まったら、それに向けて何を準備・予習すればいいのでしょうか。
まずロジ周りですが、日本国内での投資家同行の場合、どう移動するかやどこで食事を取るか、などが通訳者に任されることがままあります。一方、海外IRの場合はそういうことはすべて、同行する証券会社のバンカーの方が担当してくれます。なので、我々通訳者はその企業についての予習に専念すればOKです。

 

何を予習するか。これは、通常のIRに向けた予習とあまり変わりません。その会社のウェブサイトを見て、「IR」や「投資家向け情報」のところから決算説明会のプレゼンなどを見ておくといいでしょう。また、しっかりと予習をしようと思ったら、IRをアレンジしている証券会社からその企業に関するレポートを送ってもらうのも手です。インターネット上の掲示板なども参考になります。(その会社自身のウェブサイトには、その会社が「伝えたいこと」しか載っていないのに対し、投資家はネガティブなことについても聞きたがるので。)


1週間程度同行することになるわけですから、通訳の予習だけでなく行程中の話題作りのためにも、その企業の製品やサービスを実際に一消費者として購入・利用しておいてみる、というのもいいと思います。その会社に興味がある、その会社のファンである、ということが先方に伝われば、いいIRロードショーになる可能性が一気に高まります

どういう人が海外IRに向いているか

◆プロジェクト型の働き方が好きな人

我々フリーの通訳者はいろいろな通訳案件をこなしています。1時間、あるいは半日程度、どこかに行って通訳をするという、いわゆる単発の案件も多くあります。それに対し、海外IRは「プロジェクト」です。約1週間に渡り、同じメンバーでいろいろな国を行脚し、一緒にIRを成功に導く、というプロジェクトです。そして(飽きっぽい自分としては、ここが一番大事なのですが)1週間で終わるのです。3ヶ月とか、1年とか、10年もの間は続かないわけです。このように「プロジェクト型」の働き方が出来る、という点が、それがしっくり来る通訳者にとってはとてもいいところではないでしょうか。

◆タフな人。ホテルや飛行機が好きな人

早朝、ホテルのロビーに集合し、ハイヤーやバンで出発。その日5件のミーティングをこなす。昼食を取る時間が無いので、2件目と3件目のミーティングの合間に車内でサンドイッチ。(といったことも稀にあります。)

 

そして、5件目が終わったら空港に向かい、次の都市へのフライトに搭乗。夜10時にホテルに着き、「軽くご飯でも食べましょうか」とロビーのバーで軽食を楽しみ、翌日早朝にホテルのロビーに集合、そして出発、というようなことが連日続く海外IRもあります。それはもちろんハードなわけですが、それを楽しむ才能が求められます。

 

ホテル住まいをすることが好きな人、そして何よりも「飛行機が好きな人」は向いていると思います。(ラクな海外IR案件ももちろんあります。)

◆オーナーシップをもって働ける人

「私は通訳者です。なので、ミーティングでの通訳に関しては精一杯やりますが、(海外IR中の)その他のことにはなるべく関わりたくありません」
という考えの通訳者がいたとしましょう。別に間違っているとは思いませんし、これがその人なりのプロ意識なのだろうと思います。

 

ただ、その人が海外IR、そして特にIPOなどのディールのIRに向いているかというと、正直向いていないと思います。本人も、そして同行する企業や証券会社の方々もハッピーにならない可能性が高いでしょう。

 

確かに我々は「通訳者」としてその海外IRに参加しているわけで、それ以外の雑用を頼まれることは基本的にありません。しかし、特にディールがそうですが、「みんなで作り上げていく」、そうやってモメンタムを起こし、そのディールを成功させる、ということが求められます。「私は通訳ですから、ミーティング以外のことは知りません」では済まないのです。「この上場は自分の案件」ぐらいに思える人が向いていると思うし、もっと極端に言うと、「この会社が上場できるか否かは、すべて自分にかかっている」と、ある意味、自分自身をも騙し、通訳者としてではなく完全に1メンバーとしてディールIRに参加できる通訳者が求められているのです

終わりに

数週間にわたるIPOのディール・ロードショーが終わり、日本に帰国。TVでのんびりワールド・ビジネス サテライトを眺めていたら、一緒に周っていた社長が東京証券取引所で上場の鐘を鳴らす映像が流れてきました。「この案件は、自分がやったんだ……」というのがあながち思い込みでもない、それが海外IRです。

 

みなさんも、機会があればぜひ一度チャレンジしてみてください。ハードといえばハードな海外IR。でも、きっと「やってよかった」と思えるはずです。

 

 

丹埜段
丹埜段(たんのだん)

イギリス人の父と日本人の母の間に生まれる。徹底したバイリンガル・バイカルチュラル教育のため、小中学校で8回転校。

慶応大学卒業後、三菱商事とモルガン・スタンレー証券での計10年間のサラリーマン生活を経て、通訳者に。短いフリーランス期間の後、2008年に社内通訳者として野村證券に入社。

2012年、同社を退社し、IR通訳に特化した通訳会社アイリスを設立。欧州での事業拡大に伴い、2019年に家族と共にオランダに移住。

 

 

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