海外IR:資本市場の最前線を楽しむ<第2回>

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IRにおける通訳は、ビジネス通訳の中でも大変需要の多い分野である一方、業界知識から財務、会計等に関する専門知識が求められます。このコラムでは、海外IRの通訳経験が豊富な丹埜段さんが、海外IRの概要、必要な準備、また、通訳者の役割などについて3回にわたりお話しします。

私が経験した上場案件

IPOやPOをする企業は、なんのためにわざわざ海外まで行くのでしょうか。それは、要するに「我が社に投資してください!」という売り込みをするためです。株を売るためです。

 

あるエピソードをご紹介します。

 

私が通訳者として今まで経験した中で最も印象に残った案件があります。そのディール・ロードショーは数週間にわたる長いものでしたが、ちょうどその真ん中ぐらいで、私が同行していたAチーム(社長チーム)とBチーム、Cチーム合同の電話会議が行われました。証券会社のバンカー含め、世界各地から計数十人が参加しています。

 

各チーム、その日のミーティングの内容・印象や、投資家からの需要(ディールに対する需要)の積み上がり状況などが報告されますが、正直、あまり芳しくありません。なんとなく気が滅入る話が続き、証券会社のバンカーからも「足元、マーケットが弱く、どうも地合いが悪い」といった話も出ました。

 

ミーティング終盤のことです。各チームの報告を、黙って目を閉じて聞いていた社長が、ゆっくりマイクを取りました。それまでのロードショーについての社長自身の印象や感触を話し、今後、ロードショーの残された日程ではこういう説明の仕方をして行こう、といった話を社長はしました。

 

そして社長は、各チームそして証券会社のややネガティブな、元気の無い報告内容に触れ、こう言ったのです:

 

俺たちは説明しに来てるんじゃない。売りに来てるんだ! そこのところを心して、明日からまた気を引き締めてやってくれ

 

社長のこの一言が、IR通訳者としての私の人生を変えました。大袈裟ではなく、それほどの衝撃だったのです。

 

私は、証券会社でのインハウス時代、そしてその後独立してからの間、IR通訳を徹底的にやってきた自負がありましたし、イヤな話ですが「IR通訳であれば、もう大体分かったかな……」というような、そんないい気になっていた面もありました。それが、社長の、この「説明しに来ているのではなく、売りに来ているんだ」という言葉に、頭をトンカチでたたかれたような衝撃を受けたんです。

 

自分はそれまで、いち通訳者として、話を正確かつ分かりやすく訳すことが最大の使命だと思っていました。もちろん「直訳するのではなく、想いを乗せた訳」みたいな、多くの通訳会社/通訳者も言っているような原則は守っていましたが、それ以上のことは正直あまり考えていませんでした。そしてまた、企業と投資家の間に立つものとして、中立であるということも重視してきました。

 

でも、社長のこの一言で、通訳観が変わりました。

 

ウソはついてはいけない。

社長が「1兆円」と言ったのを「1.5兆円」と盛ってはいけない。

社長が言っていないことを訳の中で言ってしまってはいけない。

 

でも、「どうすればそのIPOなりPOが成功するのか」を考え、社長をはじめ、一生懸命ディールのIRをしている方々が一番伝えようとしているメッセージとそのニュアンスを見極め、それを訳に「乗せる」ことは許されるし、むしろすべきである、そう考え方が変わりました。

 

うまく説明できないのですが、完全に中立でドライな訳が50/50だとしたら、それを51/49に、参加者の誰も気づかない程度にほんの少しだけ傾け、それで結果的にディールをわずかにでも成功方向に傾ける、その程度の動きはむしろいいことなのだ、と思うようになりました。

 

その案件以降、ディールにおける「勝利」を強く意識するようになりましたし、その勝利に貢献する「勝つIR通訳」とは何か、を真剣に考えるようになりました。

 

例えばIPOの案件であれば「この会社が上場できるかどうかはすべて自分にかかっている」、そう思い込むことにしました。実際、「すべて」ではありませんが、IPOしたときの初値の1円ぐらいは通訳者によって上がり下がりするのではないか、と思っています。

 

ちなみにこの話は「海外IR通訳」だけでなく、「IR」そのものにもあてはまります。投資家にウソをついてはいけない。でも、自社を最大限魅力的に見せ、その会社の「ストーリー」を投資家たちに文字通りお金を出して「買って」もらう、そのためにできることを全て行うのがIRなのです。

海外IR/ディール・ロードショーで、投資家から必ず聞かれること

ディール・ロードショーで、投資家に必ず聞かれる項目がいくつかあります。

ディールのスケジュールについて

"When is the pricing date?"
"When does the book close?"

などです。投資家からすると、今回のディールの分析および社内での調整・稟議をいつまでに終え、いつまでに注文を入れればディールに参加出来るのかが当然気になります。

 

これらディールのスケジュール絡みの質問は、対企業というよりは対(同行している)証券会社の質問です。ですので、ミーティングに同席している証券会社のバンカーの方が英語で回答することが多く、通訳の対象ではありません。

ディールのタイミングについて

"Why now?

なぜ、このタイミングで上場/公募増資をするのか。なぜもっと早く、あるいはもっと待たないのか。タイミングは、その会社の状況・業績との兼ね合いもありますし、証券市場の状況との兼ね合いもあります。


特に、ディールが相次いでいるさなかでのディールの場合、投資家からすると「なぜ今なのか?」が気になります。

資金調達方法について

"Why did you choose to raise equity, rather than debt?"
(上記の質問に関連して) "What is your cost of equity?"

前述の通り、企業が資金を調達する方法はいくつかあります。デット(借入)もありますし、そして本業の儲けを蓄える(内部留保する)というやり方もあります。その中で、なぜあえてエクイティ、すなわち株式を発行・売却することによる調達を選んだのか。


投資家がこれを聞く背景には、「エクイティ(株式)はコストが高い」という図式があります。エクイティ調達をする場合、ロードショーに行ったり目論見書(prospectus、あるいはoffering circular)を作ったり、証券会社にフィーを払ったりと、ディールに参加する投資家にディスカウントを提供したりと、諸々の費用が発生します。(通訳費用も!)そして、それよりも大きな「費用」が、株式にかかる資本コスト(cost of equity)です。


投資家に株式を持たれると、企業は配当を払わないといけなくなります。(無配、というやり方もありますが。)自社株買いをしてほしい、という要望も出るでしょう。そして、IRを通して説明をしたり、事業を成功させて株価を上げる、というプレッシャーも生じます。これらは、すべて「株式を発行・売却したことに伴う有形・無形のコスト」です。


今、空前のカネ余りで、デットのコストはかなり低い中で、なぜあえて資本コストの高いエクイティでの調達を選んだのか、が問われます。

資金使途について

"How are you going to use the proceeds of this offering?"

今回(株式を発行することで)調達した資金を何に使うのか。言い換えると、なぜ上場/公募増資をしたいのか、ということです。投資家の中には、”Why should I give you my money?”といったストレートな聞き方をする投資家もいます(笑)。


資金使途に関連して語られるのが「エクイティ・ストーリー」です。そのお金を使って何をしたいのか。今後、会社をどういう方向に持って行くのか。こうした夢やビジョンを社長が語る、それをとなりでお手伝いするのが我々IR通訳者です。

丹埜段
丹埜段(たんのだん)

イギリス人の父と日本人の母の間に生まれる。徹底したバイリンガル・バイカルチュラル教育のため、小中学校で8回転校。
慶応大学卒業後、三菱商事とモルガン・スタンレー証券での計10年間のサラリーマン生活を経て、通訳者に。短いフリーランス期間の後、2008年に社内通訳者として野村證券に入社。
2012年、同社を退社し、IR通訳に特化した通訳会社アイリスを設立。欧州での事業拡大に伴い、2019年に家族と共にオランダに移住。

【続きはこちらから】「海外IR――資本市場の最前線を楽しむ――」最終回

 

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