第3回 中国語通訳の移り変わり【通訳の現場から】

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通訳現場での様々なエピソードや通訳マーケット事情などについて、通訳者がリレー形式でお届けする「通訳の現場から」。今回は、中国語の通訳者として長年活躍されている大森喜久恵さんが、ご自身が関わってきた中国語通訳のマーケットの変遷について、案件の準備方法なども交えてお話しします。

友好交流からミクロな分野へ

私が通訳の仕事を始めたのは1980年代後半のことです。当時、中国から来日する方々は日本側から何らかの招待状を受けた使節団が多く、私の仕事は青年事業や友好都市交流事業が中心でした。ときには日本の諸制度や経営管理などを視察するために来日した代表団に一週間ほど随行し、訪問先の官庁や企業で通訳する機会もあり、自分がいかに日本のことや世の中のことを知らないか思い知るとともに、大いに鍛えられました。

 

1990年代以降の中国は、沿海地域を中心にめざましい経済成長を遂げるようになりました。国際社会とのつながりも深まり、私の仕事も、友好交流中心から実務的な内容のものへと広がっていきました。中国のWTO加盟をテーマとするシンポジウム、日本企業の中国市場進出セミナーなど多種多様な仕事に移り変わっていったのもこの頃で、ほかの言語のブースと隣り合わせで「リレー通訳」をする多国間の会議も増えました。

 

日中関係が低迷し、その煽りで通訳需要が激減したこともありましたが、幸いにも完全に途絶えることはありませんでした。日本と中国のつながりはやはり太く、企業関係の会議や官公庁の定期的な協議もそれなりに続き、悪いときは悪いときなりの需要もあって、関係改善の方途を模索するための有識者の会議などが開かれました。

 

ここ10年ほどは、むしろ日本対中国という枠を超えて、何らかの専門分野に特化した通訳案件が多くなっているように感じます。対象範囲は世の中の全てのことと言っても過言ではないほど多岐にわたりますが、ひとつひとつの案件で扱われるテーマはますますミクロなものとなり、専門性が高まっているように思います。

アナログからデジタルへ

テーマがミクロになればなるほど、事前の勉強に時間を費やすことになります。準備不足は周りに迷惑をかけるだけでなく、何より自分が痛い思いをすることになるのは昔も今も同じです。

 

私が通訳を始めたのはアナログの時代でしたので、電話で仕事の依頼が入ると、まず図書館か書店に向かい、参考書を集めるところから始めました。中国へ出張する機会があれば、時間をやりくりして「新華書店」に走り、辞書や参考書を買いあさりました。また、今と違って生の中国語に触れる機会も限られていたので、中国の新聞雑誌を船便で取り寄せて、仕事で役立ちそうな記事があればスクラップしていました。

 

当時は通訳の分担について通訳者同士が電話で相談しながら決めていた時代、誰がどの辞書(紙の辞書)を現場に持っていくかもあわせて相談していました。同じ辞書を重複して持っていくより、外来語辞典や技術用語辞典など、少しでも多くの種類の辞書を分担して備えておきたかったのです。

 

それもこれも今は昔。デジタル時代の下調べはネットで便利に行えるようになりました。効率よく準備するためなら自動翻訳ソフトも活用します。例えばカタカナ表記の言葉を中国語に訳すには、何らかの漢字に置き換えた訳語を探しあてる必要がありますが、あまたと存在する化学成分や諸外国の地名など、ドンピシャリで対訳の見つかりやすい分野であれば、自動翻訳ソフトも役に立っています。

全体像をつかむ

下調べをするときは、時間の許す限り、その分野の入口から全体を見渡せるように心がけています。全体像を知らなければ、いくら立派な単語リストを作ったとしても、内容がちんぷんかんぷんになってしまうこともあるのです。

 

よく活用したのは「〇〇の知識」のような入門書ですが、このほかアナログ時代の勉強で役に立ったのは、意外に思われるかもしれませんが、小中高生向けの本でした。発電所のはなし、自動車のしくみのような産業シリーズ、薬物乱用防止に関する本など、図書館で借りたこれらの図書は挿絵も多く、ものごとの「しくみ」を手っ取り早く掴むのにはもってこいでした。本来なら専門書をじっくり読んで勉強するのが理想かとは思いますが、事前準備にあてられる時間は無限にあるわけではありません。初めて触れる分野であっても、通訳の依頼を受けてから本番までの数週間、場合によっては数日間が勝負なのです。

変化の兆し

時代とともに移り変わる通訳事情。中国語通訳業の需要は、国際情勢や景気のあおり、震災や感染症の影響を受けて浮き沈みもありました。ただ、これまで幾度となく山や谷を乗り越えて来たことを振り返れば、今後も中国語通訳の需要が無くなることはないと希望的観測を抱いています。

 

通訳形態については、変化のうねりを感じます。世の中にテレワークが浸透するなら、リモート通訳が「新常態」になっても不思議ではありません。現に中国との電話会議やWeb 会議の依頼はじわじわと増えています。

 

こと同時通訳については、これまで必要とされる場所に出向き、通訳ブースで肩を並べ、サポートし合いながら通訳してきた通訳者。仲間とのあうんの呼吸、聴衆の反応、会議の余韻を肌で感じることができましたが、仮にひとり遠隔地から通訳するともなれば、これまでとは自ずと勝手が違ってきます。通訳者のデジタルリテラシーが今以上に求められるようにもなるでしょう。リモート通訳における安定した音質確保のような現実的な課題についてもよく認識し、それを関係者との間で共有しておくことも大切だと感じています。

大森喜久恵さん
大森喜久恵(おおもりきくえ)

東京都生まれ。高校、大学時代を中国で過ごす。帰国後サイマル・アカデミーで通訳訓練を受ける。フリーの会議通訳者。首脳、閣僚会合など政治経済分野を中心に活動。1989年から同時通訳。放送通訳者としても活躍。

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