通訳現場での様々なエピソードや通訳マーケット事情などについて、通訳者がリレー形式でお届けする「通訳の現場から」。今回は、ベトナム語通訳のマーケットにおいて長年活躍されている永井蘭さんが、これまでのこと、また現在のお仕事のこと、今後のマーケットの展望についてお話しします。
はじめに
私がプロとして通訳の仕事を本格的に始めたのは、十数年前のことでした。
最初は大学生の時、ベトナム難民の方々への生活支援の一環として、ボランティア通訳を始めました。次に、地元の教育委員会からベトナム人も含めた外国籍児童の巡回指導員兼派遣通訳、その傍ら、大学や専門学校でベトナム語と英語の非常勤講師をしていました。
プロの通訳になったきっかけは、JICA関係のODA案件でベトナムへの同行通訳の依頼を引き受けたことです。帰国直後、JICAの方から国際協力センター(JICE)の研修監理業務(注1)兼通訳の登録に誘っていただき、JICEの3人目のベトナム語研修監理員として登録しました。大学や専門学校の英語講師を継続しながら、通訳のプロの道を歩みはじめたのです。この仕事を引き受けた当時から、今とほとんど変わらないほど多くの依頼をいただき、忙しく動き回っていました。
最初は、ベトナム語ができる人材が少なかったために多忙な毎日なのだと思い込んでいましたが、ベトナム語の通訳者が多く登場した今でも、その忙しい状況は変わっていません。後で述べますが、今後この傾向がしばらく続いていくのではと私は見ています。
ベトナムは、アジア諸国の中で親日国の一つに挙げられるでしょう。ベトナム人は日本に憧れ、日本人を信頼しているようです。在ベトナムでの日系企業の活動は詳しくないので言及しませんが、両国政府の関係はとても良好だと思います。
首脳会談が毎年行われ、ハイレベルの政策対話、経団連とベトナム政府要人との会談等の多くの案件があります。中央官庁だけでなく、地方間レベルの交流やベトナム人実習生の受け入れ事業に伴う仕事のご依頼も多くあり、常に人手不足のような気がします。特に、現在では、高齢化社会に突入した日本が、若いベトナム人の方々を受け入れる自治体が多いようです。
日本人にとって難しいベトナム語の発音
ベトナム語は文法的には簡単ですが、発音は難しいとよく言われます。また、困ったことに、標準語は決まっていません。デ・ファクト的な(事実上)標準語は北部のベトナム語と思いがちですが、実際、それぞれの中部的南部的な発音の標準語も併存しているように思います。その表れは中部地方、南部地方のテレビ局のニュースキャスターや番組のアナウンサー等の読み上げる発音を聞くとわかります。
日本はどこの地方に行っても、ニュースでは同じ日本語が聞かれますが、ベトナムでは違います。日本人の通訳者からは「日本では北部の発音でベトナム語を習うけれど、通訳の現場で北部と違う発音に出くわすとなかなか聞き取れない」とよく相談をされました。
仕事としての通訳者でも時には聞き取れないのに、ましてベトナム語を勉強中の一般の日本人はもっと困ると思います。言葉自体はあまり違わないのですが、発音によっては別の意味と誤解されてしまうからです。発音等にお困りで通訳業務に支障をきたすのであれば、業務確定になった時点で、まだ詳細情報がなくても案件名からリサーチし、どこの会社か、その会社の本社あるいは支社などの場所(北部か中部か南部かなど)を早めに調べ、youtube等でその地方についての動画にアクセスし、発音に聞きなれるための練習も良いでしょう。もちろんこの方法だけではないですが、参考例として紹介します。
同時通訳のコツとは
この数年間、もっぱら同時通訳かウィスパリング業務の依頼が多かったおかげで準備作業を除いて、特に苦労はしていません。英語やフランス語などと違って、ベトナム語をはじめその他の言語に関する通訳講座などはめったにありません。通訳者養成コースでもあまりないか全くないように思います。あったとしても、指導の方がほとんど現場で一緒になったことがないため、果たして、どこまでのご経験があるか少し疑問を持っています。
同時通訳の依頼があまりなかった時代に、逐次の経験を生かし、独学の方法で同時通訳を何とか凌いでいました。十数年前当時、市販の録音機をかけ、NHKのニュースを見ながらテレビの音を小さくしてニュースキャスターの言葉を追いかけるように練習しました。まず、口の速さを練習し、ある程度追いつけそうになった時点で録音機を再生し、自分が発した通訳内容を確認したりしましたが、結構大変でした。というのは、練習しても試す案件が少なかったため、良くできたと思ったところ、またそのコツを忘れてまたやり直しなどその繰り返しで、なかなか上達できませんでした。その後、同時通訳業務の案件が多くなるにつれ、経験を積み、いつの間にか機械的に同時通訳を行えるようになりました。やはり、ベトナム語の同時通訳とは「経験学」だと感じました。
同時通訳のコツをつかみはじめ、パフオーマンスが良くなってきたところ、今度はその業務に臨む現場で、どのようにして現場での緊張感を抑えるかという工夫の苦労が始まります。自分にとって、逐次通訳も同じですが、現場の緊張感は並大抵ではありません。
だいぶ前の話ですが、首脳会談や政府のハイレベル会談の現場では、手足が震え、冷や汗を多くかいていました。当時の私は、この仕事による緊張感から、心臓を悪くし短命になるのではと怯んでしまい、元の言語講師の仕事に戻ろうかと悩みました。
幸いにして、年を取っていくにつれ、この10年は慣れてきましたのでかなり楽になりました。昔、現場に臨む時に、私はカトリック信者でので、まず神様に力をくださいと祈った後、甘いのどあめを舐めていました。最近はたまに緊張を感じる業務もあるので(例えば直前になっても原稿がない、あるいは、原稿の差し替えが発生するような現場)好きなアロマオイルを持ち歩き、その場で香りをかいで気持ちを落ち着かせます。
パフォーマンスを良くするためには、やはり日々の自分流の勉強しかないと思います。自分流の勉強を紹介しますと、興味というアンテナを常に張って、時事的、新しい言葉、気になる新聞記事、ニュースで流れる話に出会うとすぐ調べ、メモをとり、リサーチするなどということです。自分のキーワードはケチャップ(catch up)です。こうやって、知識が豊富になり、視野も広がり、資料に全くないとっさに出る話やアドリブがあっても、その場で対応できるようになります。時間がない中で、普段からいかに多くの情報を吸収するかが大切です。電子新聞を含め、読む時間がない時は見出しだけをチェックしたり、食事を準備しながらニュースで聞いて気になった言葉や話をメモし、後で簡単にリサーチしておくのが良いと思います。通訳の仕事は、自分の造語ですが、「勉強職」だと感じます。ある程度知識を身に付けば、自信につながり、緊張感も緩和し、積み重ねた経験で通訳の準備作業の時間はだいぶ省けます。
ベトナム語通訳マーケットの展望
ベトナム語のマーケットを振り返ってみると、30年の年月を経た今でも常に需要が高いと改めて感じています。司法関係をはじめ、JICA研修コース、企業や政府の事業、技能実習生事業など、あらゆる場所で通訳者や翻訳者が必要とされています。
今後、ベトナム語のマーケットがまだまだ需要が高いと見る理由の一つは、金融、ICT等の分野を除き、トップの方々は英語がまだできないケースが多いと感じるためです。今の大臣、副大臣の年齢が平均40代後半から50代後半ですが、英語ができる完全な世代交代は後10年もかかるのではと見ています。現行制度は定年が60歳ですが、事務方はいくら英語で話せてもその次長、局長クラス以上の方々の年齢ですと少なくても5、6年は日本サイドの発言は相変わらず通訳が必要だと思います。
企業のニーズでも、ベトナム側の日越通訳者が同行されても、あらゆる分野が未発展のベトナムでは、日本側の説明はうまく伝えられず、結局日本のプロ通訳者を依頼してきます。また、技能実習事業においては、ベトナムからの技能実習生をお世話する会社に通訳がいるにもかかわらず、問題発生時は、そこの通訳を使わないでプロの通訳者を起用することもあります。いただく依頼案件数を見てそのように感じました。
グーグル通訳機能などAIの機械通訳が増えていますが、最近、会議の現場で実際体験したことを紹介します。ある方がスマートホンの機械通訳を使ったのですが、言葉の壁をどうしても乗り越えることができず、日本側もベトナム側もお互い疲れ切って、結局私(=人間通訳)の助けを求めてきたわけです。このように、AIによる機械通訳はまだまだ遠い将来の話だと思っています。
最後に
発展途中のベトナムは先進国の日本から学ぶことがまだ多いでしょうし、人口がもうすぐ1億人になる大きなマーケットのポテンシャルになるでしょうし、日本企業は中国からベトナムを含めてアセアン諸国に生産拠点をシフトする中で、ベトナム語通訳の活躍の場は潜在的にまだたくさんあると思われます。ただ、初期とは違って、発展レベルに合わせて通訳内容がどんどん難しくなりますので、「勉強職」と経験学を生かして頑張っていただきたいです。
今までの経験や苦労を若い方々に伝え、拡大可能性が高いベトナム語通訳業界に今後も貢献していきたいと思います。
(注1)研修監理業務:開発途上国から日本に受け入れた技術者等に向けた研修において、通訳、視察の手配、引率、研修関係者間の連絡調整等をする業務。
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