第9回 二十戒(後編)【「訳し下ろし」の同時通訳術】

現役の会議通訳者・池内尚郎さんが、同時通訳の実践的技法・術(わざ)を紹介していく連載コラムです。第9回は、前回に続きこれまで紹介された術(わざ)を20項目にまとめた中から、残りの10項目をお届けします。

二十戒(後編)


【まずは1~10項目をおさらい】「二十戒(前編)」

11.言ったことは終わらせろ

同時通訳者にとって、訳し始めた文章を終わらせずに次の文章を始めることは大罪(cardinal sin)(注7)である。訳が抜けた、訳が間違った——それくらい、聞き手は許す。しかし、文章を終わらせず聞き手を不安のままに放置するのは、通訳者に対する信頼を著しく損なう。だから、大罪である。こう断罪するのは、EUの専属通訳者を務め訓練担当官でもあったロデリック・ジョーンズ。神と人間との交信に一役買ったヘルメス神は、いわば通訳の神様だ。くれぐれもヘルメス神の逆鱗に触れぬよう振る舞うべし。

12.自分の言ったことを忘れるな

同時通訳では、次から次に入ってくる情報に圧倒されて、自分の言ったことを忘れることが往々にして起きる。これをやると、訳は続いてはいるが、意味の通らない文章を聞き手は聞かされることになる。ある先輩通訳者は、同時通訳者にもっとも必要な能力は「通訳をしながら自分の通訳を客観的に眺める力」であると言う。けだし名言。小説で言えば主人公を描く作家の目、映画でいえば役者を動かす監督の目が、同時通訳にも必要ということだ。そして、通訳者は話者の言葉の意味を捉え、自分の言葉で訳出を続けているとき、そのような第三者の目を働かせる余裕が生まれる。

13.去りゆくものに未練をもつな

情報をこぼさないぞと決意しても、実際には情報はボロボロとこぼれていく。情けないが、それが同時通訳者の宿命だ。しかし、そんな無力感を救ってくれる魔法の言葉がある。「大事なことは繰り返される」。たとえば新聞。一番重要な情報は、見出し、リード(少し字の大きな冒頭部分)、本文と3回繰り返される。だから、聞き逃しても焦らない。また、戻ってくると信じて、動じずに訳を続けていく。もちろん、聞き漏らした情報が戻ってこないこともある。しかし、動転して訳出が崩壊するよりも、放念して目先のことに集中する方が見返りは大きい。そういう大人(たいじん)になろう。

14.遅れすぎるな

同時通訳の基本は、話者と不離一体となりながら、できるだけ遅れないで訳し続けることだ。しかし、現実は厳しい。単語がすぐに浮かばずに、スピーカーから引き離されてしまうことは日常茶飯事だ。スピーカーの背中が遠のくのを感じながら、通訳者はどのようにして再び追いつくのか決断し行動しなければならない。こんなときどうするか。少しスピーカーから立ち後れ、このままでは追いつけないと判断したときは、要約的に訳出して原状復帰する。もっと遅れた場合は、訳出を断念してでも(ただし言ったことは終わらせて)、原状回復をはかる。一番大事なことは、全面崩壊(クラッシュ)だけは、何としても避けることである。

15.チャンキングに逃げるな

チャンキング(chunking)とは、文章をぶつ切りにして細かく訳していくことだが、このやり方に慣れてしまうと、実に聞き苦しい通訳になる。よほどスピーカーが早口で緊急避難的に利用するのは許されるとしても、普段は過度のチャンキングは避けるべきだ。チャンキングには薬物のような依存性がある。使いすぎると抜け出せなくなる。「逃げるなよ 心の片すみ 声を聞け」(注8)

 

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16.巡航速度を守れ

スピーカーが超高速で話すと、通訳者もそれにつられて訳出のスピードが速くなる。これは、ある程度しかたない。ただ、話者と同じくらいの速度で通訳ができたとしても、その仕上がりは惨めなものになる。速度が上がれば上がるほど、情報は乱雑になり滑舌は悪くなる。ここで紹介した「単語を訳すな、意味を訳せ」「自分の言葉で語れ」「すべてを訳そうとするな」などの「戒」を活用すれば、それなりに巡航速度を守りながら同時通訳できるはずだ。

17.美辞麗句に酔うな

同時通訳に慣れてくると、自分のスタイルも出来上がってきて、とくに自分の得意分野などでは、ときにbig wordを使ってしまうようなことが起きる。第2戒で「自分の言葉で語れ」と言ったが、これは「自分流でいけ」とは違う。話者が普通に話しているのに、通訳者がそんな普通の言葉を大げさに表現すれば、それはもはや誤訳に近い。ノンフィクションの翻訳書で知られる鈴木主税は、「凝った表現よりも、わかりやすい、いわば達意の文章を書く」(注9)ことが翻訳の極意であると述べている。通訳も同じである。

18.大声を出すな

これは同通初心者向けの「戒」。最初、聞きながら話すという同通スタイルに慣れないと、聞くことに集中しようと音量を上げ、音量を上げると自分の声が聞こえにくくなるので大きな声を出す。すると、少し聞こえづらくなるため、さらに音量を上げてしまう。結果、一層声が大きくなる。こんな悪循環で、大音声で通訳をしている初心者をときどき見かける。しかし、大きな声を出すということは、アウトプットに力が入りすぎということであり、インプットはその分おろそかになる。クセがつく前に直しておこう。

19.目をつむるな

こちらも初心者向けの「戒」。同時通訳を初めてやる人の中にたまにいるのが、ムンクの『叫び』に描かれている人物のような姿で通訳する人。目をつむり、ヘッドフォンを着けた耳を両手で覆いうつむいて通訳する姿がそっくりだ。目を閉じるのは集中力を高めるためだろうが、同時通訳では五感をフル活用する。耳で音声を聞きながら、目で資料やスピーカーの姿を追ったりしなければならない。目をつむっていては、重要な情報源を自ら遮断していることになる。少しレイドバックした姿勢で、手元だけでなく回りを見渡しながら通訳する方がパフォーマンスはよくなる。

20.あきらめるな

「不可能を可能にする」という言葉があるが、同時通訳はそれに近い。だから、不可能なままに終わることもある。それほどの難事に立ち向かおうとする同時通訳者は見上げた存在だ。ギリシャ神話に登場するシジフォスは、大きな岩を山頂に運ぶという天罰を受ける。ようやく大岩を山頂に運び上げる。その瞬間、岩は転がり落ちてしまう。シジフォスは何度もそれを繰り返す。終わることのない試練——シジフォスの姿に同時通訳者の姿が重なる。

あきらめるな。食らいつけ。落ちても這い上がれ。

 

注7 “Conference Interpreting Explained”(Roderick Jones, St. Jerome Publishing)
注8 平成30年度 薬物乱用防止標語 板橋地区協議会入賞作品・地区会長賞 志村第四中学校二年 豊島汐
注9 『私の翻訳談義』(鈴木主税 朝日文庫)

池内尚郎(いけうちひさお)

サイマル・インターナショナル専属通訳者。上智大学外国語学部ロシア語学科で学ぶ。国際交流や国際政策に関わる仕事の後、サイマル・アカデミーで学び通訳者に。政治・経済・文化・科学技術など幅広い分野で活躍。同校通訳者養成コース会議通訳クラスで後進の指導にあたる。

【続きはこちらから】「訳し下ろし」の同時通訳術 第10回

 

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