まずは母語を磨こう!【スペイン語ホンヤクの世界】

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英語以外の言語の翻訳事情や、仕事のエピソード、スキルアップ情報などを、翻訳者がリレー形式で紹介するシリーズ「ホンヤクの世界」。今回はスペイン語です。趣味が入り口となってスペイン語の通訳・翻訳者の道を進んだ古寺惇子さんが、プロとして活躍するために一番大切だと思うことについてお話しします。

ギターからスペイン語へ

20代後半からクラシックギターを始め、夢中になって弾いているうちに、ギター教室の仲間でスペイン旅行の話が持ち上がり、言葉が分かったほうが楽しかろうと勉強を始めたのがスペイン語との出会いでした。面白くなって、帰ってからも勉強を続けて数年が経ち、ある学校でスペイン語通訳コースが始まると知りました。しばらく気合を入れて勉強して、これで仕事が出来たらいいなと考えたのです。

 

法廷通訳からのスタート

通訳コースの先生が法廷通訳のベテランで、クラスメートにも法廷通訳として稼働している方がいたので、自然にそちらの方に進み、身の程知らずにも東京高裁に登録して法廷通訳を始めました。当時はオーバーステイを含む南米日系人の事件が増えて通訳人が足りず、誰でもいいから欲しい時期だったのでしょう。ものすごい緊張感の中で、必死で勉強し、働きました。

民間の仕事も探して、通訳翻訳関係の雑誌で登録を受け付けているエージェントのリストを見ると、必ず「業務経歴書添付」とあります。これから始めようというのだから書くことがありません。大きな字でボランティアでやった翻訳・通訳案件なども書いて何とか1ページ埋め、法廷通訳ですから得意分野は法律と書きました。おかげで今も法律関係の受注が多いのですが、刑事は勉強していたものの、民事の知識はゼロ。しかし、翻訳の仕事は圧倒的に民事関係が多いのです。

難しいのは、国によって日本とは異なる概念があること。例えば、離婚に際して親権や監護権(子どもの世話や教育をする親の権利義務)の問題が出てきますが、ペルーではこの監護権に類するものにcustodiaとtenenciaの二つがあります。custodiaは日本の監護権とほぼ同じですが、tenenciaは、子を自分の元に置く権利のこと。ずばり対応する日本語がありません。外務省HPに載っている調査報告に「保持権」という訳が出ていますが、この報告書以外にはどこにも見つからず、一般には通じないと思うので、私は「保持権(子を自分の元に置く権利)」と注釈付きでこれを使わせていただきました。

そんな具合で一つ一つ調べて何とか仕上げ、20数年経った今は、得意分野と言えるかなと思う程度の蓄積ができました。

 

とにかく調べる

でも、スペイン語の業界は英語と比べて規模が小さいですから、何でも屋でなければ食べて行けません。技術、環境、医学、ファッション、食品その他もろもろ、日本語だって分からない世界を訳すのですから、まず調べることから始まります。当時は紙のデータが頼り、図書館で関連のありそうな本を借りてきて、この辺かなとめくりながら内容を理解し言葉を探したものでした。スペイン語の情報を探すのは本当に大変で、放送大学図書館に随分お世話になりました。

インターネットで居ながらにして何でも検索できるようになった今は、本当に楽になりましたし、情報量がはるかに増えたので、当時と比べたら格段に質の高い訳を出せていると思います。

とはいえ、専門用語の検索は簡単にはいきません。スペイン語から日本語への訳語が見つからなければ、まずスペイン語から英語へ。スペイン語の検索エンジンでキーワードとinglés(English)かtraducción (translation)と入力すれば、わりに簡単にたどりつけます。そして英語から日本語へ。英語-日本語の情報はふんだんにあって羨ましい限りです。日本語からスペイン語はさらに大変ですが、英語を介したり、自分の知識・雑学と想像力を駆使して考えつく語を入力してみたり、一語訳すのに何時間も費やすこともありますが、ヒットした時の爽快感は何ともいえません。採算は度外視、検索は私の楽しみとなりました。

 

まず大事なのは母語の能力

さて、大学でスペイン語を専攻したことも、スペイン語圏で暮らしたこともない私が、何でスペイン語で口を糊してこられたのか、それは日本語力のおかげだと思っています。

親の欲で遠くの有名小学校に入れられ、近所に遊び友達がいない淋しい子供時代を手芸と読書に明け暮れて過ごした私は、家にあった旧仮名遣いの日本文学全集を、訳が分からないまま稲垣足穂まで全巻読み尽くしました。この頃から自分の日本語の語彙が作られたと思います。言葉にすると失われてしまう大切な情報があるのは承知ですが、それでも言葉にしたい、言葉が好き。今の仕事をするようになってからは、「これ何て言おうか」、そして「スペイン語では?」がいつも頭にあります。

自分の強みは日本語だと思っていたのですが、サイマルのトライアルを受けた時、意外にも、自信のなかった日→西訳の方に西→日より高い評価をいただいて、いつのまにかスペイン語が書けるようになったんだと、嬉しい驚きでした。

母語の能力は、言語を問わず「言葉でものを伝える」力の土台になるもので、その普遍的な言語能力があれば、外国語でも、勉強すればしただけ表現できるようになる。逆に母語を操る力が不足なら、外国語をどんなに学習してもその優れた書き手になるのは難しいと思うのです。

まずはインプット。言葉は自分の頭からは出てきません。たくさん読んで聞いて自分の引き出しに蓄えていく。そして自分で書いてみる。好みのキャラクターを主人公にした小説を書いてみるなども楽しいものです。外国語なら、気に入った文章を手書きで書き写す。そういう作業によって、どちらの言語でもアクティブに出せる表現が身についてくるものだと思います。


 

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古寺惇子(こでらあつこ)

30歳でスペイン語学習を始め、アイ・エス・エス通訳研修センター(当時)スペイン語通訳コースを受講、のちに同校通訳・翻訳コース講師。95年から東京高裁管内で法廷通訳。現在、分野を問わずフリーランスの通訳・翻訳者として、99歳の母の世話をしながら仕事とギターに励む日々です。




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