紆余曲折を経て 翻訳者として実践していることなど【ドイツ語ホンヤクの世界】

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英語以外の言語の翻訳事情や、仕事のエピソード、スキルアップ情報などを、翻訳者がリレー形式で紹介します。今回は「ドイツ語ホンヤクの世界」です。思わぬことからドイツ語翻訳の森に足を踏み入れたベテラン翻訳者が、30年近くのキャリアを振り返り、翻訳に大切なことは何かを語ります。

実は英語の通訳・翻訳者をめざしていた過去があります

早いもので、ドイツ語の実務翻訳者として通訳・翻訳業界の片隅で働くようになって27年ほど経ちますが、卒業した大学の学部は法学部法律学科、さらに卒業後は英語のちょっとした通訳や翻訳の仕事をしていたという、決して正統派とはいえない経路を辿って今に至っています。

ドイツ語と深く関わるようになったのは、結婚後、長男の出産を機に仕事をやめた後、次男の出産直後に決まった夫のドイツ転勤でした。ドイツには4年ほど滞在しましたが、3歳児と0歳児がいるとFolkshochschuleのような語学学校に通うことはなかなか難しく、週に一度自宅で個人の先生にプライベートレッスンを受けるのが関の山でした。
しかし、実際に生活して生の文化に触れられたことは本当に貴重な体験でしたし、もう一つ、ドイツ語と英語が近縁であることも、ドイツ語を学ぶ上では非常に助けになりました。

帰国後は、ブロークンではありますが、せっかく覚えたドイツ語を忘れないように(というより、あわよくばドイツ語で仕事ができるようになりたいと思って)、ゲーテ・インスティテュートに通いました。まずドイツ語通訳ガイドの資格を取り、その後ゲーテのドイツ語上級統一試験(ZOP)やドイツ語小ディプロム試験(KDS)のほか、ちょうどそのころ新設されたドイツ語技能検定試験(いわゆる独検)の1級など、ひたすら試験を受け続けて取るべき資格を取りました。

ただ、資格を取ったからといってすぐに仕事が来るわけはありませんので、この頃はJapan Times等の新聞の求人欄を見ては、ドイツ語の通訳/翻訳者募集広告に応募してトライアルを送ってもらったり面接に行ったりということを繰り返していました。

駆け出しの頃

幸いにも採用していただけた数社の中に、法律案件の翻訳が非常に多いという会社がありました。どうやらドイツ語が分かる法学部出身者という位置づけで採用してくださったようなのですが、ドイツ法を学んだわけではなし、しかもさほど熱心に勉強する学生でもなかったため、いきなり行政法の逐条解説書や知財関連の判例の翻訳が来ても分かるわけはありません。当然こちらもドイツ法を勉強したことはありませんとお伝えしましたが、有無を言わさずといった感も少々あり、十分なサポートをしていただきつつも、駆け出しの頃からとんでもなく難解な翻訳をお引き受けすることになりました。

しかも当時はインターネットがまだ普及していなかったので、泥縄式に関連の専門書を必死で読んだり、紙の専門用語辞典を引きながら作業するしかありませんでした。とはいえ独和の専門用語辞典は非常に少なく、むしろ法律用語辞典は歴史的な経緯もあって多い方でしたが、それでも主なものは3冊ほどで収録語数も少なく、実務翻訳者にとっては本当に苦労の多い時代でした。

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翻訳にまつわる諸々のこと

この独和の専門用語辞典が少ないという問題は、分野に限らず現在でも解消されていません。ただ、今はネットでドイツ語のサイトや日本語のサイトを調べたり、非常に特殊な固有名詞でも画像検索して日独のサイトを突き比べたりといったことができますし、独→英のオンライン辞書を使ってドイツ語より辞書が充実している英語まで持ってきたりなど、様々な手段があるので本当に助かっています。

さらに、ドイツ語の専門用語をそのままGoogleの日本語サイトに打ち込んで検索すると、大学のアーカイブや官公庁のサイト上の文献に原語が添えられた訳語が掲載されているのが見つかったりもします。ただこうした場合、固有名詞や機関名などに対する訳語が資料や文献によって異なっていることが非常に多いので、今度は既に定訳とされている訳語はあるのか、なければサイトや文献そのものの信頼性はどれも高い中で、どの訳語を採用するかという新たな問題が発生します。

このような時は、例えば問題の単語に関連するドイツ語の複数のサイトを熟読するなどして最終的に自分が納得できる訳語を選択していますが、この点については、できれば専門家の方々の間で訳語の統一を図ってくださると非常にありがたいのだが、と常々思っています。また場合によっては原語に加え、選択した訳語と選択の経緯のほか、選択可能な別訳等々をコメント欄に記入し、訳注とすることもあります。

なお、ネットで調べればほとんどのことが分かるということは、逆に言えば調べなければならない義務を負っているようなものですから、重箱の隅をつつくような調べ物をしたり裏を取ったりしていると、昔に比べて楽になったとは一概に言えない部分もあるなと思ったりもします。

また、選択した訳語のみならず、サイトで見つかったその他の信頼性ある訳例はすべて、掲載されていたサイトの名称と共に自作の用語集に書き込むようにしています。さらに、自作用語集に収録した原語にその後の別件の中で再び遭遇した場合は、念のため再度ネット検索して、選択した訳語の信頼性に変わりはないかとか、より良い別訳が出現していないかなどを再確認するようにしています。ちなみにこの用語集は、まだ駆け出しの頃に先輩翻訳者の方から作成を勧められて作り始めたものですが、今では収録語数が9万5千をちょっと超えました。果たして10万語を超える日が来るのかどうか分かりませんが、これを見ると随分長い道のりを歩いてきたのだなと実感します。

最後になりますが、翻訳をするに当たって気をつけているのは「日本語の質」ということです。ドイツ語翻訳では、本当に様々な分野の案件が来ます。法律以外にはその時々のニュースや報道で見聞きするような出来事に関連した報告書や資料、技術関連のレポートなどが大半ですが、非常にニッチな分野の案件のほか、アナリストが書いた投資家向け情報冊子(これは数年間続きました)や女性向けファッション誌の記事の翻訳なども少なからずあります。

何によらず原文を正確に理解することはもちろん大前提として不可欠なのですが、例えば法律案件については訳語/訳文の厳密性、正確性を最重視しますし、報告書などでは原文に忠実でなおかつ最大限に読みやすい日本語になるよう気を配り、また女性誌や投資家向け情報冊子については、正確性を担保した上で訳文であることを感じさせない日本語に仕上げることをめざします。

どのような分野であれ、読みやすい訳文や日本語として自然な訳文を作成するためには、自分の日本語の語彙力といいますか、アウトプットとしての日本語の引出しをどれほど持っているかが重要になってくると思いますので、常日頃からシャワーを浴びるように目から耳から旬の情報を取り込むようにしています。

ただ、日本語の質を重視するあまり、日本語として確立されてはいるが、概念的に原語と微妙なずれがある訳語を、そのまま当てはめたり訳文を作成したりしないよう、重々注意することが必要な案件も数多くあります。また、原文の解釈はもちろん必要なのですが、過度に解釈しないよう、つまり翻訳者の主観を挟まないよう気をつけることも必要になります。 こうして考えると、翻訳とは本当に難しい仕事ですね。その分、やりがいもありますが。

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K.Y.

慶應義塾大学法学部法律学科卒。日米会話学院卒。サイマルアカデミー通訳 科在籍経験あり(恐らく一期生。当時、小松先生も講師をされていました)。国 際会議場での英語スタッフや英語文芸翻訳の下訳などを3年ほど経験した後、出産 ・育児に専念。10年間のブランクの後ドイツ語の通訳・翻訳者として社会復帰、 1997年ごろから仕事をドイツ語の実務翻訳一本に絞り今に至る。

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