第3回 英文サインの改善案の紹介【日英翻訳とタイポグラフィ】

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内容は間違っていないのに、読みづらいサインや訳文を目にすることもあるかと思います。それはタイポグラフィに配慮されていないのかもしれません。『翻訳は見た目も大事』の執筆者、田代眞理さんが日英翻訳のタイポグラフィの重要性について説明します。

連載の最終回では、本書の題名になっている「英文サイン」を取り上げます。前回の記事で、この本には実際のサインの写真や改善案の図版を多く盛り込んだと書きましたが、今回はその中から、重要な公共サインである駅ホームの案内表示とその改善例についてご紹介します。実際このサインは共著者の小林章氏が日本出張の折に目にし、その問題点をご自身のブログで指摘なさっていたものです。実務翻訳と書体デザインとが協力し、短くても意味が明確に伝わるサインを作成できないか、本書で検討することにしました。(以下、BNN新社『英文サインのデザイン:利用者に伝わりやすい英文表示とは?』98〜104ページをもとに再構成)

これからご覧いただく改善案は、以下の事柄を念頭に置いて作成しています。

  1. 情報の受け手にとって、その情報の何が優先度が高く、何がそれほど高くないかを整理する
  2. その上で、優先度の高い情報だけを抽出して見せる
  3. 誰が読んでも分かるように、一般的な文章の表記ルールに従う
    たとえば、単語間や括弧の外側のスペースは省略しない、特殊な略語は使わない、など。
  4. 使用する文字のデザインをむやみに変形しない

改善「案」とあるように、これが唯一の正解ということではなく、状況によってほかにも考えられる方法はあると思います。あくまでも一案としてご覧ください。


では早速、実際の案内表示の写真を見てみましょう(掲示場所:東京モノレール羽田空港国際線ビル駅[現・羽田空港第3ターミナル駅]ホーム)。

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日本語が「浜松町」「JR山手線・東京・都心」と、ポイント部分が大きな文字になっていて遠目でも見やすいのに対し、英語では文章量が多いため全体的に左右を詰めないと収まらず、英語の情報だけが頼りの人にとっては非常に読みづらいサインになっています。見たところ、英文が日本語の半分以下の大きさで組まれているような印象を受けますが、実際に「浜松町」の部分の高さと英文の大文字の高さとを比較すると、大文字の高さは漢字の約3分の2です。これは国土交通省の「バリアフリー整備ガイドライン:旅客施設編*」にある「文字の大きさの選択の目安」をクリアしてはいるのですが、大文字の高さはよくても実際の読みやすさにはつながっていない一例といえます。
* 国土交通省「バリアフリー整備ガイドライン:旅客施設編」89ページ

この写真は正面から見ていますのでまだ読めますが、サインというのはいつも正面から見られる訳ではなく、時には移動しながら斜め気味に見ることもあります(小林氏の2017年のブログ記事をご覧ください。当時、私もこれに対してコメントを投稿しています)。

このように文字量が多い場合に全体的に左右を詰めるというのは日本のサイン製作でよく使われるやり方です。ですが、この場合、標準の字幅の書体を左右方向から極端に縮小したため、文字の縦画が細くなり文字間も狭くなって、結果、サインとして読みづらいものになってしまいました。


こうした状況を避けるためのひとつの方法は「文字量を減らす」です。伝えるべき内容を漏らさずにどのくらい減らせるか検討し、このような英文を考えました。

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上が実際の英文。下が改善案。

* Neue Frutiger(ノイエ・フルティガー)は、識別性の高さからサインに適した書体として世界的に知られるFrutigerの改良版です。日本では成田空港第3ターミナルのサインや北陸新幹線の駅名標に使われています。


日本語は「浜松町のりかえJR 山手線・東京・都心方面」とありますが、実際このモノレールは浜松町が終点で、そこから山手線に乗り換えて都心に向かうので、それを反映した表現にしました。また、現行訳ではTōkyōが2回繰り返されスペースを取っていることから、東京モノレールの英語版ウェブサイトで使われていた表現を用いてdowntown Tōkyō のみとしました。Tōkyō Station と書かれていなくても、この表現で広く東京方面に行けることは伝わると考えました。

こうして改善案をご紹介しましたが、実際にはここまでの変更は翻訳者側の一存ではまず決められません。原稿通りに訳すのが翻訳の基本だからです。そこで重要になるのが、依頼者側とのやり取りです。情報を早く、正確に伝えることが目的のサインの翻訳は、理想的には翻訳依頼の最初の段階から、掲示される場所や面積、想定される長さといった条件を依頼主と共有することが望ましいです。その際、場合によっては、今回ご紹介した改善案のように原文自体を検討することも必要になると思います。そしてさらに重要なのは、翻訳作業の前だけでなく後にも、両者間で内容の調整を行える環境が整っていることです

改善のためのもうひとつの方法は、適切な書体選びです。欧文書体では、ある程度の文字量があるときやスペースが限られているときに、読みやすさを損なうことなく表示できる書体として「コンデンスト(condensed)/コンデンス体」と呼ばれるものが用意されています。

コンデンス体は、左右の幅を抑えた上で縦線を補強しているので、単純な左右方向の縮小とは異なり、縦画がしっかり見えます。それに加えて文字の曲線の形や文字間の調整も施されているので読みやすく、洗練された印象すら与えます。先ほどの例文を標準の字幅とコンデンス体とで比較し、読みやすさがどのくらい改善されるのか試してみました。

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* 図版内の「100ページ」は本書のページを指しています。
* Helvetica(ヘルベチカ)は広告を中心に世界中で使われている書体です。サインにも使用されますが、文字内部の空間が閉じ気味なため、環境によっては識別しづらいことがあります。


翻訳による短縮と書体の選択だけで、読みやすさがずいぶん高まったと思います。このような試みから分かるように、掲示する場所にふさわしい英文表現と書体の選択とを考えれば、英語の情報が頼りの旅行者にとって、もっとやさしく効果的なサインがつくれるのではないでしょうか。

今回ご紹介したコンデンス体は、必ずしも標準的字幅の書体よりも可読性に優れているというわけではありません。幅に余裕のある場合には標準の字幅の書体を使うなど、状況に応じてバリエーションを使い分けることが大事です。まずは内容を調整することから考え、標準幅の文字では収まりきらないだろうと思われるときに、コンデンス体の使用を検討するのがよいでしょう。

これまで3回にわたって「日英翻訳とタイポグラフィ」をテーマにお話ししてきました。最後に、翻訳というのは作業そのものは1人で行うものですが、本当によい翻訳を生み出すためにはまわりの協力が欠かせません。サインであれば、利用者にとって真にやさしい案内表示はどうあるべきか、それに関わる人たちすべてが知恵を出し合うことで、初めて理想的なサインが出来上がるのではないでしょうか。翻訳者は翻訳して終わり、レイアウトをする人はレイアウトして終わり、ではありません。出来上がった印刷物なりサインなりを実際に使う人の立場になって、本当にこれで情報が無理なく伝わるかどうか、互いに話し合いながらつくり上げていくことが本来あるべき姿ではないかと思います。





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田代眞理(たしろまり)

1992年よりサイマル・インターナショナルのインハウス翻訳者として、日英・英日の翻訳、チェック、編集、校正に従事。フリーランスでは翻訳のほか、英文出版物の制作で得た知識をもとに、日本独特の英語表記を改善するための活動も行っている。訳書に『欧文タイポグラフィの基本』『ロゴ・ライフ:有名ロゴ100の変遷』(グラフィック社)、『私の好きなタイプ:話したくなるフォントの話』(共訳)、『図解で知る欧文フォント100』(BNN新社)、共著書に『英文サインのデザイン:利用者に伝わりやすい英文表示とは?』(BNN新社)がある。




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