長井鞠子×ピーター・ダーフィー 対談<前編>――プロとして学び、働き、生きていく――

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「プロの通訳者・翻訳者でありつづける」とはどのようなことなのか――。長年、トップで活躍され続け、ザ・プロフェッショナルともいうべき通訳者の長井鞠子さんと翻訳者のピーター・ダーフィーさんにお話を伺いました。通訳者、翻訳者になった経緯、プロとしての心構えやこだわり、さらなる飛躍をめざす方々へのアドバイスなどを、前・後編2回にわたってお届けします。

長井鞠子(ながいまりこ)

国際基督教大学卒。1967年、サイマル・インターナショナルの通訳者となる。以降、日本における会議通訳者の草分け的存在として、先進国首脳会議(サミット)をはじめとする国際会議やシンポジウムの同時通訳、各国要人や各界著名人の随行、記者会見通訳を担当。現在はサイマル・インターナショナルの顧問として後進の育成に携わりながら、国内外で年間200件近い業務を請け負うトップ通訳者として活躍を続ける。

 

ピーター・ダーフィー(Peter Durfee)

米カリフォルニア大学バークレー校卒業。1996年、株式会社ジャパンエコーに入社し、外交・政治・経済分野の英訳を手がける。現在はウェブサイト「Nippon.com」で日英翻訳・編集に携わるとともに、サイマル・アカデミーの翻訳者養成コースの講師として優秀な翻訳者の育成に従事している。

 

通訳者、翻訳者としての始まり

――まず、お二人のご経歴をご紹介ください。

長井私は通訳以外したことがない、純粋培養の人間です。大学卒業後、就職してから通訳になる方が多い中、私は大学卒業と同時に通訳を始めて、それ以外の仕事は本当にしたことがないんです。唯一休んでいたのは結婚し、元夫の赴任先の外国に引っ越して、そこで子どもを産んで育てていた、足かけ7年間。それ以外は通訳をやらなかったことはないので、通訳しか知りません。そういう経歴です。

ダーフィー私は親がアメリカンスクールの講師をしていた関係で、15歳の時に初めて日本に来ました。アメリカの大学を卒業した後、日本に帰ってきて、3年間、栃木の公立中学校で仕事をしました。

週4回、学校で英語の授業をしたのですが、週1回は町役場から頼まれて、観光情報や那須の昔話、民話集を英訳しました。自分でコピーを取ってホチキスで留めたような本だったのですが、それが最初にやった翻訳です。

長井:15歳で来られたときは、日本語の能力はどのくらいだったのですか。

ダーフィー:ゼロです。

長井:ゼロ! そう。

ダーフィー:周りはみんな日本語ができる友達ばかりで、「今日はみんな日本語ができないというふりをするから、おまえが通訳しろ」と。そういう特訓をさせられて、それで日本語が上達しましたね。

その後、上京して株式会社ジャパンエコー※1へ入り、そこからフルタイムの翻訳者として仕事をすることになりました。翻訳者といっても何でもやる、本当に下っ端で入ったのですが、『Japan Echo』という雑誌は、政治経済、文化など幅広く扱っていたので大変でした。O157が広まったときは『ステッドマン医学大辞典』という辞書を引きながら、このバクテリアはどうとか、全部勉強しながら仕事をしなければいけなくて。3、4年そういう経験を経て、やっと「今までは心配だったけど、お前だったらいけるかも」と言ってもらえて、ああ、よかったと。そして今までずっと続いています。

表面的でない、ことばの本当の意味を知る

長井:私は子どもたちを産むときにユーゴスラビアにいたんですけど、チトーのいた時代とチトーがいなくなってからと両方経験したんです。その後、ユーゴ紛争でしょう。同じ共産圏社会主義の中でも非同盟主義というのは素晴らしい、これこそ一つの第三の道だと思って、ユーゴスラビアは民族が違うのにみんな仲良くやっていると思っていたのに、ふたを開けてみたらあんな血みどろのことがあったでしょう。これも自分の目で見たことが信用ならないってことを、1970、80年代に気付かされて。いろいろな波頭で仕事をするから、なおさら私は感じますよね。ひとつまみの塩というか、ちょっとした批判精神を持って物事を見ないと人間、駄目だなと。だから通訳というのは面白いけれども、ちょっと疑いの目を持つべきだというのは、最近思うようになっています。自分の見ていることは100%じゃないと、ちょっと疑うように。

ダーフィー:世の中のちょっと汚い裏の面を見ることができるという点で言うと、翻訳も同じかな。どうしても表面的なことばの意味じゃなくて、本当はこれを意味しているというのを知るためにもいろいろ研究しなければいけない。勉強しないといけないし、質問もたくさんしないといけない。
政府の仕事をやっているときは特にそうなんですけど、ことば選びという単純なところから見ても、多分通訳もそうでしょうが、政治的な泥沼に入ったようなものを持たないといけないということがあります。

長井:文字で見たりことばで聞いたりすると、美しいことばっかり。でも、その裏には本当に人間というのは大変なんだなと思うことがたくさんありますよね。

ダーフィー:例えば「感動した」は何に感動したのか、エモーショナルなのか何なのか。自然に沸いてきたしゃべりをことばに換えて、それを違う言語に換えて出すという単純な話ではない。その裏を必ず読む必要がある。前もって準備している部分もあれば、期待できない、違う方向に行くような話も出てくるし、違う方向に行ったときに、行った方向の知識をある程度持っていないと結構大変な仕事になるので、新聞は読めという話に行きつくのですが。

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2、3年で要領がいいと思ったら、それは手抜き

長井:翻訳する人は偉いというか、絶対に私はできないと思うのが、常に考えなきゃいけない時間があるじゃないですか。その場でやらなきゃいけないとしても、同時通訳よりは時間があるわけですよね。同時通訳は言ったら最後だからね。ああでもないこうでもないと悩むことが正しい訳にたどり着くための必要なプロセスではあるんだけど、私は怠け者だからそこがすごく面倒くさいと思って、翻訳は駄目。真面目な検証作業が嫌なの。嫌だというか、しなきゃいけないんですけど、同時通訳はやっている暇がないのよね。だからある意味で私の性格に合っているなと思う。

ダーフィー:でも以前、サイマルのイベント※2で長井さんのお話を聞きましたが、下調べとか、明日はこういう会議だからこういうネタが出てくるだろう、こういう内容で話が進められるだろうという想定の上で、前日に相当勉強をしなきゃいけないと。朝1時とか2時になれば、どうしても睡眠時間が必要だし、ここまでしか勉強できないから、まあ良しとするかという。

長井:そうそう。本当に若いときは怖いから、大事な会議が来たら徹夜してでもベタ訳を付けなきゃとか、そういう思いに駆られるんですよね。準備が不安だから。でも、やっぱりそこは新人でなくなってきたときには、これはもう睡眠の方が大事だという判断はどこかで入りますよね。徹夜していいことはないですよ。若いときはいいと思うけど、だんだん年を取ってくるし、徹夜したらそれだけでメンタルの状態も良くないし、どこかで線引きをしないといけないよね。あとは、資料。昔初めてサミットに行ったときなんて、資料が本当に山のように出たんですよ。これをどうやって読むのよというくらいに出たんですよね。だけど、そういう資料が出たときも要領が良くなって、どこを読んだらいいかというのがちょっと分かるようになったのは、経験を積んだことの一つの成果物だなと思うことがあります。

――どれぐらいたってからですか。

長井:そうですね。要領が良くなったかなと思うのは、やっぱり10年、15年たってからですね。そんな2、3年で要領がいいと思ったらそれは手抜きですよ、本当に。

――結局、そのぐらいの量が頭に入っているわけですよね。

長井:そうそう。それまでの蓄積があるから「ああ、これだ。これが絶対ここでも出るな」みたいのが分かるようになるのね。どこかの役所の仕事をしたときに、分厚い資料があって。たった40分の会合ですよ。これのどこを見るのよというときに、さっと見て、これかなと思ったのが大体当たる。だから、それは経験値ですよね。真面目にやっていれば経験値は増えますよ。それが通訳の面白さにもつながるしね。あと、もう一つはやっぱり異文化の両方に足を置いているという面白さですよね。

表現力を身に付けるためには読書

ダーフィー:そうですよね。私は三十何年前くらいからずっと日本にいるので、まだアメリカに足を置いているのかなと心配になっています。

長井:置いていますよ、置いていますよ。

ダーフィー:例えば自動車関連の企業からCSRの報告書を作るように頼まれると、前もって、特にアメリカの競合他社の同じような報告書を必ず読むようにと言われたりする。他のところが出しているものを読んで、盗めるところを盗むというマインドを持って、やってくれと頼まれるし、やった方が足をしっかり置いている形で、この業界で通用する文章を作ることができるという保証になるのです。

長井:私なんて、日本に生まれ育って日本で仕事をしているのだから、英米文化に足を置いているとは言えない。でも、言えないと言ってしまったら仕事にならないので一応「両方知っています」と言うの。今はインターネットの時代だから、どんどんニュースは入ってくるし、CNNもBBCもある。でも、英語を勉強するということにもつながると思うんだけれども、読むのはすごく大事ですよね。私は通訳になりたい人なら「英語をうまくなるには? 」なんて今さら聞かないでと言いたいのだけど、日本語も同じで、きれいな日本語、きれいな英語にするためにどうしたらいいかといったら、絶対に読書です。別に高尚な本でなくていいの。Pleasure readingでいいんです。

本を読むというのは、すごく表現力が身に付くし、言語能力をアップすることにつながると思います。何でもかんでも手当たり次第、英語・日本語、両方よく読みます。資料もね、読むのはなかなか大変ですけど大量に読まなければならないから、本と同じで、今日はここまで読むとか決めて絶対に頑張るようにしています。

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書きことばとは違うリズムの文書が存在する

ダーフィー:通訳者は口を使ってしゃべる仕事だからこそ、本を読んで頭の中に入れておかないといけない。逆もそうだと思うんです。書く仕事だけど、たくさんテレビを見てもいいし、生のことばで入ってくるような、書きことばとは違うリズムの文書が存在するわけで、それも、もうちょっと自然なしゃべり方というのがいろいろあります。

長井:通訳には妙な「通訳節」というのがあるよね。同時通訳はこういう変な日本語で変なしゃべり方でも許されるだろうという甘えがあるの。難しいし、時間もないし。でも、私はできるだけ美しい、分かりやすくて、すとんと心に落ちる日本語にするべきだと思っています。ことばに対するフィネスというか、アンテナが日本語にない通訳者が多いよね。

ダーフィー:英語もそうです。私が和文英訳を編集するとき、うちのウェブサイトはインタビューが多いのですが、しゃべり口調を書き留めた文章のはずなのに、英語に直した人が全部、can’tとかアポストロフィをがんがん入れたりするんです。人がしゃべるとき、本来はこうしゃべるよねというマインドを持って翻訳する人は少ない。

長井:どういうことばにするかというのは、私は半分、演技が入っていいと思っているんです。通訳は演技だと思うから。だって私はノーベル賞の受賞者ほど勉強していないんだから、説得力ある形で言うためには、「私はノーベル賞をもらったのよ」みたいな演技をしなきゃいけないと思うの。だけど、わりと通訳を始めてすぐの頃にダッカでハイジャック事件があって。ハイジャック犯と操縦室との間のやりとりが全部聞こえて、日本のテレビがそれを同時通訳しろと言うのです。そのときに犯人が「水を持ってこい」「水がないと殺すぞ」と言ったのだけど、それを演技でといってもね。だから、「お水を頂けますか」とか「お水を運んでください」とか、中途半端で中立的なことばになってしまったのを覚えていますよ。あのとき、演技といっても、やはりTPOはあるなあと思いましたよね。

ダーフィー:例えばスポーツを見ていると、そういうことがいろいろありますね。外国人選手や監督がいるチームで、その通訳がいて。選手か監督が怒っているとき、その通訳が無機質に伝えるか、それとも通訳も合わせて怒ったような口ぶりで伝えるのかという選択はあると思うのです。

長井:通訳にも2種類ありますね。感情が入るのは聞き手にとって邪魔だから、淡々と情報だけ伝えるタイプと、もう一つは感情移入して、そのスピーカー本人に成り代わってしゃべるタイプ。当然、私は後者なんだけど、どちらがいいか悪いかはないのよね。やはりお客さまのお好みでもあるし、私のような通訳がうるさいと思うお客さまがいても不思議はない。もうちょっと淡々とやりたいという人もいるだろうと。

AIがすごく進歩するからこそ、人間はもうちょっと努力しないと

長井:翻訳は印刷物になって残るから、すごくチェックしているでしょう。大失敗というのはないですよね。

ダーフィー:あるときはありますけどね。下訳、チェッカー、翻訳者戻し、修正入れ、コピーリーダーのチェックと修正……。それをもう一回直して、レイアウト作成して……。初稿、再稿、3稿と出して、毎回チェックしたうえで、はい校了としているのに、できた雑誌を開いてみたら「えっ」となったりして。

長井:そういうことってあります?

ダーフィー:あります。私が入社してすぐ、本当に一番最初ぐらいの仕事で、校了寸前の3稿ぐらいのレイアウト済みの雑誌がありまして。それをここで編集はしない、スペルミスとごみの有無だけ指摘してくれと。それで開いてみたら「United States」となるところが「Untied States」になっていたんです。それを指摘したら「ありがとう、間に合った」と。何人もの目が入っていても、そういうことはあるんです。Too many cooksというのはあるかもしれないけれど。

長井:人間だからね。AIになればそういうのはなくなるかもしれないけど。

ダーフィー:でも、AIになれば、TPOという話になるし、誰が読者なのかを考えて作ることができるのは翻訳者ですから。コンピューターにトランスレートをお願いしても、それはできないわけですし。

長井:だけど、AIというのは想像できないぐらい進歩しているでしょう。だから「人間の翻訳・通訳には機械は追いつかないです」とは言えないんじゃないかしら。だって彼らは10億回でも練習できるのよ。私たちは10回やったらもう嫌だもん。人間の機微な状況を訳せるのはまだ先だろうけど、AIは侮るべからずと私は思っています。この人間の世界で、10億回も勉強できる人だから。人ではなくて、ものだから。だからって、怖がってはいないの。うまく共存する方法は絶対にあるだろうからね。

ダーフィー:私は、安心してもいいのではないかという要素が二つあると思うんです。一つは、コンピューターは最初から誰がこのことばを書いたのかというのを頭の中には入れない。書いた人は何か意図を持って書いているわけで、その意図をくんで反映させられるのは人間だけで、最終的に誰が読むのかを想像するのも人間にしかできない。

だから、難しいことばが出てきて、実は対象読者は小学生だからねと言われたら、自分が子どもだった頃はこうだったなと思いながら作業できたりする。

もう一つ安心してもいいと思うのは、多くの会社で、今までは高いから手が出せなかったけど、Googleなど無料だから利用してみようというふうになって、実際に使ってみたら使い物にならないと気付いているところもある。やはり人間に頼るしかないとわかって、翻訳業界というのはそれによって増えてきているという状況もあります。翻訳の量はものすごく増えているのですが、コンピューターがほとんど早くやっていて、パイ全体が大きくなっている中で、人間がやるパイの部分も大きくなってくると思っています。

特にお金をかけたいところというのは、人間のマインド、心を持った人にしかできないような翻訳を求めるところが必ず出てくると思うので、AIには頼れないというところもあってもいいのではないかというふうに。

――AIがこれからもっと出てくると、なおさら、人がやる通訳や翻訳というのは、より質の高いものを望まれていくようになるのではないでしょうか。

長井:だからこそ、ことばを磨かなければ駄目なんですよね。中身も知らないといけないし、この人はこのことばに何の思いを込めて言っているのかということを理解するアンテナをきちんと立てないといけない。おっしゃるように、AIがすごく進歩するからこそ、人間はもうちょっと努力しないと駄目だなと思いますね。

ダーフィー:私は編集も担当しているのですが、翻訳者の中で、この人にはもう依頼しなくていいかなと思うのは、コンピューターのような翻訳をする人です。この単語が出ると必ず同じ英語が出てくる。この文脈の中にこういうものが出てきたら、文脈を全然考えないでまた同じような言い方を使ってくるという、コンピューターと同じような作業しかできなければ、コンピューターに絶対に負ける。


長井
:負けますよね。

ダーフィー:だから、コンピューターにできないような翻訳の仕方とはどういうものなのかを考え、磨いていかないといけないですね。人間性のある翻訳をね。

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※1 現在の公益財団法人ニッポンドットコム
※2 サイマル・グループ50周年特別セミナー「通訳者・翻訳者への道」。長井さんが講師で登壇しました。

 

★対談<後編>はこちらから!
  

写真/構成:通訳・翻訳ブック編集部