第1回 スウェーデン:通訳者にとっての海外生活の恐怖【世界の通訳事情】

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このコラムでは、海外に在住し、現地で活躍する日本人の通訳者が、その国ならでは、海外ならではの通訳事情やエピソードについてリレー形式でお話します。今回はスウェーデン在住で、ドイツ語・スウェーデン語通訳者として活躍する中村有紀子さんです。

スウェーデンの暮らし 

スウェーデンで暮らしはじめて3年が過ぎました。日本で暮らしていたときには、普段は母語の日本語を使い、通訳業務のときにそこに「外国語」を加える、という状況でしたが、ここでの生活はその逆、つまり、日常生活では「外国語」を使い、仕事のときにそこに母語を加える、という状況になっています。海外生活をする以上、この「逆転現象」が起きるのは当然のことではあるのですが、通訳を職業にする人間にとって、これは実はかなり厄介なものです。

 

私の場合、日本で仕事をしていたときに特に気をつけていたのは、「外国語を常に『使える』状態にしておくこと」でした。通訳の基本は外国語能力ではなく母語能力である、ということは通訳の常識ではありますが、日本に暮らしていれば、普段の生活のなかに母語である日本語を使える環境がありますから、日本語のほうは特にがんばらなくとも「自然に使いこなせる」という実感がありました。

 

しかし、もちろん、外国語のほうはそうはいかないわけで、通訳言語は常にさまざまな方法でメンテナンスしておく必要がありました。そして、通訳者である以上、使う外国語のレベルが「通じればいい」レベルではいけないため、TPOに応じた表現や語彙の使いわけ、発音の正確さに常に気を配ることも不可欠でした。

外国暮らしをしていると

さて、外国暮らしをしていると、普段の暮らしのなかで使う言語が外国語になりますから、「その外国語が常に『使える』状態にあること」はいわば当然のことになります。その一方で、日本語が母語であることには変わりないので、外国語と日本語を比べれば、日本語のほうが「自然に」使えるものであることにも、変化はない……はずなのですが、ことはそれほど単純ではありません。

 

まず、日常的に外国語を使う生活をすれば、その外国語が上達するかといえばそうとも限らないのが問題です。人間には「慣れる」という能力があります。つまり、外国語を使う能力が特定のレベルに達すると、あとは「慣れ」でなんとかなる、という面もあるのです。そうなると、日本にいた頃に特に神経を配っていたはずの「TPOに応じた表現や語彙の使い分け、発音の正確さ」を向上させる努力を、ともすると怠りがちになってしまいます。なんといっても、日常生活のなかでは「そこまでしなくても、どうせ通じる」ということがわかっているわけですから。生来がナマケモノである人間(= 私)にとっては、いつの間にか外国語のメンテナンスを怠っていた! ということになりかねません。

 

もっと恐ろしいのは、日本語のレベルまで同時に落ちてしまいかねないことです。母語であるとはいえ、その母語は、日本での日常生活という土壌からは切りはなされた状態にあります。土壌がない状態で、その母語に栄養を与え続け、フレッシュな状態に保ち続けるのは、実はそれほど簡単なことではありません。

 

一度、日本のクライアントが「海外に暮らす日本人通訳者に通訳を依頼すると、聞くに堪えない日本語を聞かされることがあって、非常に苦痛だ」とこぼすのを耳にしたことがあります。外国人通訳者の話す日本語であれば、少々難があっても「仕方ない」と許容してもらえるかもしれませんが、日本人の話す日本語に難あり、では話になりません。そのボヤキを耳にしたときの私はまだ日本在住だったので、「そうか、大変だなあ」程度の感想を抱いたにすぎませんでしたが、今やこの言葉は、非常に現実味を帯びた警告として私の頭の中に響き渡っています。

 

通訳者として海外生活をおくるにあたっての最大の恐怖は、外国語に怠惰になり、同時に日本語能力を失うこと。日本に暮らしていたときとはまた違った日々の努力が必要になるのだと痛感している次第です。

 

(注)この記事は2015年11月に通訳技能向上センター(CAIS)のウェブサイトに掲載されたコラムを編集したものです。

 

中村有紀子
中村有紀子(なかむらゆきこ)

国文学を勉強するはずだった大学で、第2外国語として選択したドイツ語と恋に落ち、ドイツ文学を専攻してしまったために人生が思わぬ方向に曲がる。独日通訳として仕事を始めて約4年後、今度はスウェーデン語が人生に侵入。人生はさらに波乱の展開を見せ、2012年以降、独日・瑞日のフリーランス通訳者としてスウェーデン在住。

  

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